あそこにいた人たちにも、恩赦の対象になった人がいるだろう。今回の恩赦は復権なので、罪が消えるわけでもない。対象は罰金刑によって国家資格を奪われた建築家や、医師などのエリートだ。私が留置場で出会った女性たちはほぼ外国人と貧困層で、そもそも復権するような権利すら持っていないような状況を生きている女たちだった。今日もそんな女たちが、この明るい日射しの差す東京地検の深い地下で、暗い目をしているのだろう。
恩赦証明を提出してもらう時間は、終始穏やかだった。対応した30代の男性に懲罰的な姿勢は一切なく、丁重に談笑をまじえながら事務手続きは粛々と進んだ。
出された書類には自分の逮捕日、罪名を自筆で記す。そういえば逮捕直後は書けていた「猥褻」という字が書けなくなっていた。彼に、ここに何人くらい来たか、と聞くと「まだそこまでいないです」とのことだった。いつまで受け付けているのかと聞くと、来年くらいまでは、とのことだった。
逮捕後、何か特別な制限を受け、生活しづらいと感じることはないが、アメリカに行きにくくなったことは不自由だった。罪にかかわらず逮捕歴がある人間は、渡航前に裁判資料をアメリカ大使館に出す必要がある。この恩赦によって渡航制限は解かれるのか?と地検で担当者に聞いたが、そういうことは各国の判断なので、とのことだった。私が顔を曇らせたからか、担当の男性は、「渡航前に大使館にこの紙を見せたらどうでしょうか」と、できあがった証明書を指さすのだった。
次に天皇が代わる時は、このような“前時代的な”制度はなくなっているかもしれない。法務省には、児童ポルノを所持した者も含まれるような55万人を恩赦するなら、袴田巌(いわお)を恩赦しろ!という声も来ているというが、その通りだと私も思う。
何より勾留され、奪われた「人権」は取り戻せない。恩赦の証明書を前に、権力の横暴に改めて圧倒される。A4一枚のこの紙で、私に戻ってきた権利は何だろう。
帰り際、私が他の階で降りないことを確認するためか、エレベーターホールまで担当者が丁重に付き添い、互いに一礼で別れた。「恩赦」の紙の重さをはかりかねている。とりあえず今はクリアファイルに入れ「未整理」状態で机の上に放置している。(作家・北原みのり)
※AERA 2019年12月2日号