悔しさが蘇ってくる。逃亡の恐れも証拠隠滅する必要もないのに、巻き込まれるように逮捕された。その上「恩赦」だなんて一方的だし、「罪人」感を再度突きつけられるようだ。思い返せば霞が関の東京地検、東京のど真ん中で行われている日常は、前時代的な「恩赦」という古くさい制度が生々しくリアルに響く世界だった。人権など鑑みられない「罪人」の“刑場”だった。

 逮捕された日。膣に何か入っていないかと、下着姿でジャンプさせられたこと。ちくわの揚げ物だけがおかずの朝食。「人」ではなく「ガラ」(身柄のこと)と呼ばれ「1本、2本」と数えられたこと。まだ有罪判決が出る前に、十分に罪人にさせられるのが日本の逮捕だ。

 地検に連絡してから約2週間後、見知らぬ番号から電話がかかってきた。出ると「東京地検です。あなたは恩赦の対象であることが確定しました」と言われ、証明書を希望するか聞かれた。郵送はできないとのことで、実印と身分証明書を持って地検に行くことになった。アポが必要とのことだったので、その週の金曜10時に行くと伝えた。ちなみにこの電話は、事前に申し入れをしなければかかってはこず、恩赦の対象かは自動的に教えてくれるものではない。

 当日、東京地検で受け付けを済ますと、ロビーまで担当者が迎えに来て、「診断室」という部屋に通された。コピー機がポツンと1台置かれたがらんとしている殺風景な部屋の窓際のソファに座るように言われた。窓からは、日比谷公園の緑がブラインド越しにちらちらと光って見える。

 5年前、留置場から地検に連れていかれたのも金曜日だった。朝早く腰縄をつけられてここに連れてこられ、地下の「牢屋」に入れられた。「罪人」たちは互いに目を合わせてはいけない、話しかけてもいけない、時間を聞いてもいけなかった。剥き出しのトイレ一つの6畳もない狭い牢に、10人以上ぎっしり閉じ込められた。外国人も多く、日本語もよくわからない状況のなか、過呼吸になる人もいたが、隣の女性が背中をさすろうとすると、「ほっておけ!」と野太い声で「看守」に怒鳴られるのだった。

 午前中に東京地裁(東京地方裁判所)の「牢屋」に移動させられると、昼食としてコッペパン1本とマーガリンの袋を渡された。手錠をつけたままマーガリンの封の切り方まで指導され、間違えた者は怒鳴られていた。コッペパンを食べながら隣の女性が持つ書類にATMがどうのこうのと書かれていたのが見えた。詐欺かぁと、横顔をちらりと見ると、30代半ばくらいの若さだった。

次のページ