内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
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※写真はイメージ(gettyimages)
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

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 国際オリンピック委員会のバッハ会長が、マラソンの会場を札幌市に移す案を提示した。寝耳に水の東京都はこれに反発して、時間のさらなる前倒しや被災地への会場移転を逆提案している。都知事が「北方領土でやればどうか」と捨て台詞を吐いて外交問題にまでなった。もう収拾がつかない。

 アスリートが質の高いパフォーマンスを達成するために真夏の東京は全く適さない。そのことは日本人なら誰でも知っている。しかし、五輪招致委員会は東京の夏は「温暖でアスリートに最適」という真っ赤な嘘をついて招致を実現した。

 札幌への移転提案を受け入れた場合、そのコストは誰が負担することになるのか。これまでマラソンのために投じた舗装の改良工事の300億円が無駄になるばかりか、札幌での競技開催にも新たなコストが発生する。その請求書を回されたら都民だって怒り出すだろう。
 問題は「これは私のせいです」と言って公的に謝罪する人間がどこにもいないということである。なぜか全員が被害者のような顔をしている。

 ことの筋目から言えば、招致に際して虚偽を述べた五輪招致委員会理事長竹田恒和前JOC会長が責任を取るべきであろう。だが、彼は五輪招致票を買収した容疑でフランスの司法当局の捜査対象となっており、すでにその職を辞している。五輪関係者たちはできれば彼一人に責任を押し付けて、自分たちは被害者のような顔で現場からそっと立ち去る算段でいるのだろう。身から出た錆とは言いながら、気の毒な人である。

 気になるのは、他の競技団体も黙ってはいないのではないかということである。東京の真夏ではアスリートの健康リスクが高すぎる。ハイレベルの競争も期待できない。ならば、われわれの競技も涼しい土地でやりたいと言い出した場合、組織委員会にはそれに「ノー」と言えるどういうロジックがあるのだろうか。多分誰にも対案はないと思う。「最悪の場合」については考えないという習慣を内面化した人たちに大きな仕事を任せると「こういうこと」になる。だから、「五輪招致反対」と言い続けてきたのだが、結局予想通りになってしまった。

AERA 2019年11月4日号