小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。対談集『さよなら!ハラスメント』(晶文社)が発売中
小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。対談集『さよなら!ハラスメント』(晶文社)が発売中
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高校2年生の夏休み、姉が暮らすニューヨークを訪ねた小島さん。ワールドトレードセンタービル屋上で(写真・本人提供)
高校2年生の夏休み、姉が暮らすニューヨークを訪ねた小島さん。ワールドトレードセンタービル屋上で(写真・本人提供)

 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

【写真】高校2年生の夏休み、姉が暮らすニューヨークを訪ねた小島さん

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 中高6年間、私立の女子校に通いました。そのまま付属の大学に進学したので、高校受験も大学受験もしていません。勉強は好きでした。「自分の力でどうにかできることで自由になりたい」という思いがあったからです。

 小学生までは、海外の日本人学校と東京郊外の地元の公立校に通いました。父は一部上場企業勤務のサラリーマン。両親は貧しい家の出で、苦学して大人になり、娘たちには自分よりもいい教育をと私立に入れてくれたのです。中学受験して合格した第1志望校は、富裕層や名家の娘たちも通う学校でした。桁外れに恵まれた人たちと初めて出会い、努力ではどうにもならない差を実感しました。自分がどれほど努力しようとも先祖が教科書に載ることはないし、資産家の娘になることもできません。世の中はなんて理不尽なのだろうと中学時代はもんもんとして過ごしました。高校受験がなかったので、勉強そっちのけで存分に迷走することができました。先生に反抗して中1でブラックリスト入り。長い通学時間に新潮文庫を読みあさり、授業中もイヤホンで音楽に浸って、夜はラジオの世界に逃げ込みました。

 世界の全てに悪態をつき果たした頃、ふと「どのように生まれてくるかは自分では選べない。それは誰しも同じだ」と気づき、羨望や恨みがすうっと消えました。だったら自分の力でどうにかできることで自由になろうと勉強に身を入れ始め、学校が楽しくなりました。姉の影響で美術や古典芸能に夢中になったのは高校時代。家族の転勤先を訪ねてインドやニューヨークで夏休みを過ごし、世界の広さに衝撃を受けました。個性的で親身な先生方に出会えたのも財産です。

 自分の芯の部分は間違いなく、あの6年で形成されました。年齢を重ねるほどに、母校への感謝は深まるばかりです。

AERA 2019年6月10日号