法律さえできれば、「男女平等」になるのだと思っていた。けれど、その先にあったのは、孤独と闇。そして「保活」や「ワンオペ」という消耗戦だった。ジャーナリスト・清野由美氏がリポートする。
【年表で見る】1985年から女性をめぐる社会の動きはどんなことがあった?
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平成時代には雇均法に続き、「男女共同参画社会基本法」(1999年)、「女性活躍推進法」(2015年)と、女性の社会進出を促進する二つの法律も成立した。それらによって、企業社会に男女平等の概念がより浸透したことは確かだろう。
しかし、もっとあからさまになったのは、女性の歩む先が「スマートにカッコよく自立する私」ではなく、望まない労働も男性と「対等に」課せられる現実。目論見通りにはいかない。
人材育成コンサルタントの渋井真帆さん(47)は、02年に「女のたしなみ経済塾」を立ち上げ、女性限定のビジネスセミナーという、新しい市場を開拓。背景には自身の苦い経験があった。
94年の就職氷河期に、都市銀行に総合職として入行。不況で目にしたのは、貸しはがしをはじめとする、シビアな光景ばかり。一足先に入行していた雇均法第1世代の先輩女性たちの姿にも、希望は感じられなかった。
「仕事も恋愛もと、チャンスを与えられて、だからこそ迷いに突入し、どっちつかずに沈んでいく。この轍を踏んではいけない、と震えました」
社内の先輩だった男性と結婚を決めて短期間で辞職。総合職の同期の女性は、男性300人に対し5人だったが、ほどなくして全員が辞めていった。
銀行にいたおかげで、経済を他者に依存するリスクは身に染みていた。しかし再就職を求めても、銀行と同じ条件は皆無。ハローワークで見つけた30社にもひっかからず、気が付けば近所のパン屋で時給650円のパートに。「アタシったら、何やってんだろ」と落ち込み、百貨店の香水売り場の販売員からキャリアをたたき上げ直した。
ビジネス塾では女性受講者たちに、「選択肢のある人生を目指そう。そのために、健全に自立しよう」
と、自己改革を繰り返し説いた。