発表された新元号「令和」を伝える号外を求める人たち(4月1日、新宿区で)。サラリーマンやOLでにぎわう新橋では争奪戦も繰り広げられた (c)朝日新聞社
発表された新元号「令和」を伝える号外を求める人たち(4月1日、新宿区で)。サラリーマンやOLでにぎわう新橋では争奪戦も繰り広げられた (c)朝日新聞社
安倍首相は、第1次政権のころから、元号の典拠は国書のほうがいいと周囲に語っていたという。その意味では悲願を達成したことになる(4月1日、首相官邸で) (c)朝日新聞社
安倍首相は、第1次政権のころから、元号の典拠は国書のほうがいいと周囲に語っていたという。その意味では悲願を達成したことになる(4月1日、首相官邸で) (c)朝日新聞社

 4月1日の「令和」発表と首相本人による異例の会見から浮かぶ「政治主導」。専門家らから、安倍政権は新元号発表を「政治ショー」として利用したという指摘が出ている。

【写真】新元号発表の会見に臨んだ安倍首相

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「仮装こそしていませんでしたが、季節外れの日本のハロウィーンを見ているようでした」

 日本在住歴12年。現在、語学学校の教師として働いているニュージーランド出身の女性は、新元号「令和」の発表に沸いた4月1日をそう振り返った。

 そう思うのも無理はない。テレビ東京を除く全てのテレビ局が朝から特番を組み、元号を発表する菅義偉(すがよしひで)・官房長官の会見を生放送で中継した。新元号が発表されると、今度はそれに便乗した割引セールに大行列など、各地のお祭り騒ぎの様子が繰り返し流された。東京・新橋では、およそ200人の群衆の間で新聞の号外争奪戦が勃発。一部で小競り合いも発生した。その様子が、1年に1度、仮装し熱狂した若者が、渋谷のスクランブル交差点を占拠するハロウィーンを連想させたというのだ。しかし、本当に「ハロウィーン的」だと感じたのはその翌日だったと彼女は言う。

「あの熱狂はどこへ行った、と思うほど街は静かで、会社でも盛り上がっている人はいませんでした。日本人にとって新元号発表はもっと厳粛で大切な日だとばかり思っていましたが、どちらかといえばイベント的であり、その熱狂も長続きはしなかったように思います」

 確かに新元号は「令和」に決まったものの、時代はまだ平成のままだ。昭和から平成の改元は昭和天皇の逝去を理由に自粛ムード一色だった。当時、テレビ局のディレクターだったドキュメンタリー作家の森達也さん(62)は同じ改元でも社会の雰囲気が大きく異なると指摘する。

「発表の前からテレビが大騒ぎし、決まってからも実はこんな案もあったとさらに畳み掛ける。テレビは社会の映し鏡なので、それだけ期待を寄せる人が多かったのだと思いますが、僕のようにその現象そのものにうんざりした人も少なからずいたと思います」

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