東郷和彦さん(74)は99年に外務省欧亜局長に就任した際、上司から「両陛下のオランダ訪問は失敗できない」と言われた。「訪問中に不祥事を起こさないように。日本国内で右からも左からも批判されないように。オランダ政府も王室も気にかけている」との話だった。

 元オランダ首相のアンドレアス・ファン・アフトさん(87)は、訪問先を決める際の助言を求められ「市民とふれあう機会を多く設けるのがいい」と答えた。00年5月25日、両陛下が大学町のライデンを散策した際、学生らと語らう写真が翌日の新聞に掲載された。

「私の助言は天皇陛下の人柄に期待してのことだった。陛下はそれに十二分にこたえてくださった」

 それでも、訪問が「和解ムード」一色だったわけではない。

 両陛下がオランダ入りした00年5月23日。アムステルダム中央駅からダム広場までの数百メートルの間、抑留被害者や元捕虜らが抗議のデモ行進をした。日本側を刺激しないようにと、オランダ政府や日本大使館と抑留者代表とが事前に話し、デモの時間を両陛下到着の2時間後にずらしていた。

 広場に立つ戦没者記念碑には、両陛下が慰霊の花輪を供えていた。抑留被害者らも花束を供えようとしたが、記念碑と花輪の周りに鉄柵が立てられて兵士が護衛し、近づけない。抑留者の女性の一人が「父は死んだ。母は病気になった。私は障害者になった。父母をかえせ」と泣き叫んだ。

 その場にいた中尾さんは言う。

「抗議デモや怒り嘆く被害者の姿を両陛下やメディアから遠ざけて見えなくすることで、日本とオランダが戦争について対話を深めるチャンスが、かえって失われたのではないでしょうか」

 天皇陛下は16年8月8日、退位の意向をにじませた「おことば」で、「天皇の務め」について「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切」と語った。その務めは象徴たる天皇一人に負わせるのではなく、主権者である国民や、その代表としての政治家、公僕である公務員こそ、率先して取り組むべきものだろう。(朝日新聞編集委員・北野隆一)

AERA 2019年2月4日号より抜粋

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