
描きたい物をスマホで検索することは多い。「カメラが一般に普及していない頃の写真が好き。建物を検索すると人が小さく写っていますが、はっきり写っていないから逆に参考になる」と浅野さん(撮影/篠塚ようこ)


ドローイングを始めたきっかけは、撮影現場での孤独とストレスだった。東京・ワタリウム美術館で開催中の個展の作品を見ていくと、俳優としての浅野忠信の姿も、浮き彫りになっていく。
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「自分がピュアに楽しんでやったことが人に届く。来場した方に喜んでもらえたのは嬉しいですね。絵を描くことに限らず、何をするにもそれが重要なことなんだなと気づかされました」
そう話すのは、俳優・浅野忠信さん(45)だ。現在、「TADANOBU ASANO 3634展」が東京・ワタリウム美術館で開かれている。描きためていた3634点からドローイング700点を展示する。
「僕が口を出してしまうと、僕の見たいモノにしかならない」
と、構成は美術館に一任した。会場の2階は作品数の多い人物が中心、3階は都市やビル、4階は作業している人物やアメリカンコミックに影響されて描いたオリジナルキャラクターが中心だ。ワタリウム美術館CEOの和多利浩一さん(59)は言う。
「作品の量が多かったので、カテゴライズをすることが重要でした。作品を自然と見てもらえるよう、絵で『物語』を作っていくことを意識しました」
浅野さんは1990年に「バタアシ金魚」で映画デビュー。今や日本やアジア映画のみならずハリウッド映画にも進出し、国際的に活躍するが、絵とのつながりは演技以上に長い。興味を持ち、描き始めたのは3歳ごろから。高校時代に友人から「忠信は絵をよく描くよな」と言われ、絵を描かない人もいることに気づいたほど身近だった。
幼稚園時代に絵を習ったことはあったが、基本は「独学」。家にはたくさんの画集があり、知らず知らずダリやキリコ、ターナーなど数々の作品に触れていた。少年漫画やアメコミなどの影響も受けた。中学生時代の「遠近法」の授業は「飽きることのない最高に楽しい時間」。パソコンを使い始めると、さらに建物や階段の描き方を追求した。