「このままでは仏教の伝承が途切れてしまう」
過疎化が進む町では若い人は都会へ行く。実家とのかかわりは薄れ、集まりといえばみずからの身内のみ。勢い、宗教とのかかわりは薄くなる。
だから法話を聴く機会もない。
親から見れば、子や孫といった若い世代に迷惑をかけないという考え方かもしれない。こうして家(檀家)の宗教の伝承が途絶えていく。
いま、都会では不幸があれば全国チェーン化されたセレモニーホールで、家とのかかわりのないお坊さんに来てもらう流れが定着しつつある。
いわば「ファスト宗教」だ。
コスト面での透明化、ネットを通して連絡ひとつでお坊さんが来てくれるという利便性がある半面、先祖から子孫へ──という家族のつながりが希薄となる一面もはらんでいる。
そこにはわたしたち現代人が「宗教」というものをきちんととらえていない問題もある。
宗教とは、薬のように「飲めば効く」というものではなく、ましてや拝めば効果が出るという即効性があるものでもない。これを仏教という視点から光誉さんは次のように説く。
「お釈迦(しゃか)さまが仰せになっていますが『人生は思い通りにはならない』。困ったからすがる、拝むという前にふだんから、どういうふうに生きていくか。それが『戒(かい)』ではないかと思います」
「戒」とは仏教の信徒が守るべき行動規範を指す。死んで閻魔(えんま)さまの前に出され、地獄に落ちてからでは遅い。だからこそ人は日々生活するうえでの「戒」を知る必要があるという。
もちろん悩み苦しむ人を突き放すことを意味するのではない。「転ばぬ先の杖」として使うほうがいい。そういう願いが込められている。今では、
「若い人にも法の教えに接したい人が意外といらっしゃいます。『法話を聴きたい』と言ってくる方もいます」
若い世代を中心に、着実に仏の教えへと導いている。彼女の活動こそ現代という時代と社会に合わせた教化──説き教え感化し、人を仏道へと誘う──すなわち布教活動のモデルといえるのではないだろうか。(ライター・秋山謙一郎、澤田憲)
※AERA 2018年10月15日号より抜粋