経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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朝日・毎日・日経の9月18日夕刊をみて「オヤ」と思った。1面の二つの大見出しが全く同じだったからだ。一つは「アメリカの対中関税第3弾発動」。もう一つは「文在寅・韓国大統領の平壌初訪問」だ。文言は3紙で微妙に違うが、テーマは完璧な揃い踏みとなった。
見出しの揃い踏み自体は、さほどまれではない。ビッグニュースが重なれば、おのずとそうなる。考えさせられたのは、この二つのテーマが主要紙の1面で肩を並べたことである。世の中は変わった。何とも不思議な方向に向かって、グローバルな世の中の風景が変貌しようとしている。
米国と中国が貿易戦争で対峙する。これからのグローバルな世の中が共生度の高いものとなるためには、彼らは、最もケンカしてはいけない相手同士だ。ところが、その両者が「やられたらやり返す」の応酬でにらみ合っている。
その一方で、最も対峙の構図が過激だったはずの韓国と北朝鮮の政治指導者が、満面の笑みで抱き合う。これ以上はあり得ないと思われるほど、友好ムードを盛り上げている。もっとも、どこまで本気なのかが、特に北朝鮮側について判然としないという問題は常につきまとう。だが、それにしても、さしあたりは和解の香りが目いっぱい立ち込めている雰囲気だ。
北朝鮮にとって、中国は常に頼りにしたい存在だ。そして、韓国にとって米国は最上の友好国だ。その米中がお互いに牙をむき合っている。せっかくの南北大接近を報じる新聞紙面に、米中大激突の報道がデカデカと載る。何とも残念な話だ。
残念ではあるが、これぞまさしく、グローバル時代の現実なのだと思う。要は親分がいないということだ。ケンカの仲裁をしてくれる者がいない。従来なら、大きな顔をして、おもむろに仲裁に入る位置づけにあったような国々が、直接対決で世間をお騒がせする。
だが、これでいいと言えば、いいのかもしれない。親分とか陣営というようなものがない中で、みんなで寄ってたかって、平穏無事を模索する。そんな時代だからこそ、ひょっとすると本当の南北和解も成就するかもしれない。
※AERA 2018年10月1日号