批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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前回に引き続きチェルノブイリツアーの話をしたい。
日本ではチェルノブイリといえば原発事故のイメージだろう。しかし事故前の歴史もある。チェルノブイリは千年近く前から存在する町で、交通の要所として栄えた。第2次大戦まではユダヤ人が多く住み、シナゴーグ跡が残る。
弊社ツアーでは事故跡地だけでなく、それら史跡も巡ることにしている。歴史を知ることで理解が多面的になるからだ。たとえば首都キエフにある国立チェルノブイリ博物館は、正教の象徴を多用した独特の展示で知られている。日本のジャーナリストには不評だが、史跡を巡ると、彼らが宗教的な展示を作る理由がおぼろげにわかってくる。原発事故の社会的な本質を理解するためには、事故自体だけでなく、それを受け止める人々の文化的背景にも目を向けねばならない。
同じ理由でキエフも回ることにしている。じつは同国では初回ツアーの直後に政変が起きた。2013年から14年の冬に大きな市民運動が起き(ユーロマイダン)、100人を超える市民が殺され、親露政権が倒れたのである。この政変はロシアとの関係を悪化させ、クリミア併合とウクライナ東部での戦争を引き起こした。
その結果いまキエフでは、ユーロマイダンの「記念碑化」が急速に進んでいる。運動の舞台となった広場にはパネルが並び、寺院の壁には殉教者の顔写真が貼られている。ユーロマイダンはSNS発の草の根運動で、明確な指導者やイデオロギーは存在しない。途中までの展開はNYのオキュパイや香港の雨傘革命を思わせる。けれどもウクライナでは、その革命の経験が国家主義と接続しつつあるのだ。弊社では参加者に必ずこの光景を見てもらっている。
原発事故と国家主義。一見、関係ないようだが、記憶と政治という点で問題は連関している。ウクライナの原発依存率はいまも5割を超える。この数字はロシアとの対抗関係を無視しては理解できない。国家の論理は事故も革命ものみ込む。その貪欲さの外で悲劇を記憶することは、本当に可能なのか。参加者にはそれを考えてもらいたいと願っている。
※AERA 7月9日号