沖縄に、陸軍中野学校によってゲリラ兵に仕立てられた少年たちがいた。「護郷隊」──。戦後73年、「地獄」を生き残った元少年兵の記憶は今なお消えない。
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10代で体験した戦争は、癒えない傷を少年たちに残した。
沖縄本島北部。大宜味村(おおぎみそん)に暮らす瑞慶山良光(ずけやまよしみつ)さん(89)を訪ねた。
「今は、もう思い出すことはないよ」と笑って迎えてくれたが、かつてPTSDに苦しんだ。
「戦闘で亡くなった人たちの霊が私にとりつくんです」
45年3月1日、16歳だった瑞慶山さんは召集された。第二護郷隊に配属、部隊の拠点となっていた恩納岳のふもとに移動した。約1カ月後、瑞慶山さんは「斬り込み隊」に選ばれた。10キロの火薬を抱え、3人一組で米軍の戦車隊に突撃する。いわば「自爆テロ」だ。
「死刑宣告。生まれない方がよかったと思ったよ」(瑞慶山さん)
幸い、先行した部隊が発電所などを爆破したことから大騒ぎとなって斬り込みは中止となる。
その数日後、今度は米軍に夜襲をかけるために歩いていると、照明弾が上がり、手投げ弾が投げ込まれ至近距離で爆発。破片が瑞慶山さんの右頬を貫通し、歯が4本吹き飛んだ。その時の傷痕は今も残っている。
負傷した瑞慶山さんは野戦病院に運ばれた。病院とはいえ、避難小屋のような粗末なもので、地面に板をしいて病人やけが人が横たわっていた。
そこで瑞慶山さんは恐ろしい体験をした。軍医の命令で穴を掘って死んだ少年兵を埋葬することになったが、何人もの少年兵を埋葬していると、その中の一人の目がパチパチ動いたという。
「まだ意識があったのかもしれない。でも、僕は感覚が麻痺しているから、何も考えられなかった。夢中になって埋めました」
こうした壮絶な体験は戦後、瑞慶山さんを苦しめることになる。夜中に家を飛び出し山に登ったり、海に飛び込んだり、意味不明の言葉を発したり。死んだ兵隊がとりついたとして、地元の人から「兵隊幽霊」と呼ばれた。