新潟県出身で高校時代は剣道の国体選手でもあった旧姓井上邦博さんは、剣道選手として大学進学を誘われたが、ネクタイを締めた仕事に憧れ、高卒で医薬品の卸売会社に就職。しかし添乗員の仕事がしたくなり、旅行専門学校に入った。同い年の2人は、すぐに恋に落ちた、わけではなかった。
「僕は単純に好きになっただけだったんですが『将来はこの人と結婚するかもしれない』と思い込んで、入学2カ月後ぐらいに付き合ってくださいと全身全霊で告白しました」(邦博さん)
女優の仁科亜季子によく似た、ふくらはぎのたくましいキリッとした美人はしかし、あっさりこう言い放った。
「えー井上君とはそんなこと考えたことないし、気持ちもないわ。私たち学生なんだからそんなことより勉強頑張りましょう」
邦博さんは諦めきれず、クラスメートに励まされながらその後も5回にわたって告白を繰り返すが、アルバイトと勉強に忙しい日高さんには相手にされず、卒業。お互い別々の旅行会社に就職した。しかし、日高さんはここでも挫折した。就職した会社では、デスクワークや電話対応に追われ、添乗員の仕事ができる見通しが立たなかった。退職し、レストランに再就職の内定をもらった矢先のこと、ふとつけたテレビのCMに目を奪われた。女子選手が颯爽と水面を駆け抜け、こんなナレーションが流れた。
「ボートに乗って年収1千万円」
競艇選手を募集していた。CMで紹介された電話番号を書き留め、気づくとダイヤルしていた。小さな頃からお金で苦労してきた反動か、年収1千万円は心動かされるキャッチコピーだった。案内の通りに履歴書を送り、養成所を受験した。当時の年齢制限は23歳で、22歳になっていた彼女はギリギリだったが、868人の受験生のうち合格した26人に選ばれた
厳しい訓練に、慣れない工具を使ったエンジン整備。当初、4段階評価で一番下だった日高さんだったが、逃げずに踏ん張り続けることを決めていた。最下位ばかりだったのに、入所8カ月になる頃には模擬レースで1着や2着を取れるようになった。そして1年の研修が終了、登録番号3188で福岡支部の選手としてプロデビューした。
練習の虫は成績を上げ続け、87年にはA級選手に昇任し初優勝、年間獲得賞金は1876万8600円に達した。その後も順調に成績を積み重ねトップ選手に成長、現在までの生涯獲得賞金は9億円を超えている。