56歳でモーターボートのトップレーサーとして活躍する日高逸子さん。同級生だった夫、2人の娘と歩んできた軌跡──。
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「グレートマザー」
男子選手とも互角以上に戦うモーターボートレースのトップレーサー、日高逸子さん(56)をファンやライバル選手、関係者は敬意を込めてこう呼ぶ。身長155センチと小柄で華奢な体躯ながら、時速80キロ、体感速度120キロの猛スピードでターンマークに突っ込んで立ちながら旋回するモンキーターンを決め、通算2千勝以上、数々のタイトルもものにしてきた。
偶然が重なって飛び込んだこの世界で1985年にプロデビュー、今も現役で輝きを放つ日高さんを、夫の邦博さん(56)が「主夫」として支え続けてきた。夫婦が暮らすのは福岡市。大学4年の長女に続いて、この春大学に進学したばかりの次女も関東に旅立った。
デビューから33年が経った。
「あっという間ですね。最近はスピードや目も衰えているし、あちこち痛くて元気いっぱいとは言い難い。私より若い選手もどんどん辞めていくのもわかる気がします。でも、私自身は何歳で引退とは決めていないし、今じゃないと思っています。女子ではまだ2歳年長の鵜飼菜穂子選手が現役ですから、最年長は目指したいですね」
現役のボートレーサーは約1600人で、うち約1割が女子選手だ。女性だけで争う女子戦もあるが、男女混合の大会もごく普通に行われる。
「私が入った頃は女子選手を増やそうとしていた時期で、男子にも『女子に負けるのは恥だ』という意識が強く、コース取りで意地悪されたり、レース展開と関係ないところで転がされたりして鍛えられました(笑)」
中学教師の父と保育士の母、2歳上の兄。宮崎県都城市で生まれ、幸せな日々を送っていたが、4歳で父がオートバイ事故に。その後遺症に苦しんだ父は酒浸りで暴れるようになった。そして暴力に耐えかねた母は、日高さんが小学1年生のとき、兄妹の前から姿を消した。以降は同県串間市の農家の祖父母のもとで育ち、兄とともに新聞配達を続けた。中2で祖父を亡くし、奨学金で進んだ高校を卒業して地元の信用金庫に勤めるが、単調な仕事に嫌気が差して1年で退職。上京して当初はケーキ職人を目指すも、ツアーコンダクターへの憧れから旅行専門学校に入学した。ここで同級生として出会ったのが、後に結婚することになる邦博さんだった。