ジャーナリスト 田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年生まれ。主にテレビ朝日系「朝まで生テレビ!」の討論司会として西部氏とかかわった(撮影/品田裕美)
ジャーナリスト 田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年生まれ。主にテレビ朝日系「朝まで生テレビ!」の討論司会として西部氏とかかわった(撮影/品田裕美)
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評論家 佐高信(さたか・まこと)/1945年生まれ。2009年から12年まで朝日ニュースターで放送された「西部邁・佐高信の学問のすゝめ」で西部氏と対談(撮影/品田裕美)
評論家 佐高信(さたか・まこと)/1945年生まれ。2009年から12年まで朝日ニュースターで放送された「西部邁・佐高信の学問のすゝめ」で西部氏と対談(撮影/品田裕美)

 昭和の終焉から、冷戦体制崩壊、自民党下野、阪神・淡路大震災のころまで、深夜の討論番組は活況を呈した。先日亡くなった西部邁さんにゆかりのある、田原総一朗さんと佐高信さんが振り返った。

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田原総一朗(以下、田原):僕は西部邁さん(評論家、1939-2018)に大きな借りがあります。「朝まで生テレビ!」が始まったのが1987年。当時の学者、評論家、ジャーナリストはほとんど左翼、せいぜいリベラルです。その時に西部さんに「敵(かたき)役として出てほしい」と依頼したら、快く出てくれました。その時の西部さんの討論相手は大島渚(映画監督)、小田実(作家)、野坂昭如(作家)。こういう人たちが元気で、それに対して孤軍奮闘してくれた。とても感謝しています。時流に乗って最近保守派の論客が増えてきましたが、西部さんはあの頃から一貫していた。「おれは民主主義が嫌いだ。民主主義がヒトラーを生んだ。民主主義は危険だ」と。

佐高信(以下、佐高):私が西部さんに会う前は、雑誌でめちゃくちゃ批判していた。ある雑誌で対談することになって、最初は緊張しました。西部さんのお父様は浄土真宗のお寺の息子だったんです。それで「寺の息子にとって宗教は信仰じゃなくて、生活なんですよね」と言ったら、西部さんが「そうだ」ってうなずいて、そこからほぐれた感じがしました。

 基本的に愛嬌(あいきょう)がある方なので、大島さんや小田さんのほうでも憎み切れないようなところがありましたね。

田原:それは大島さんも小田さんも現状否定、自民党内閣否定だから、そこで一致していたんです。

佐高:いまの保守は左翼と論戦できないですよね。論争でもまれていないし、太刀打ちできない。

田原:日本の保守や右翼は仲間内でしか議論をしないんです。

佐高:それは左翼もそうですね。でも西部さんは「問答有用」で、絡むのが好きだし、絡まれるのも好き。左翼は嫌いで、右翼は大嫌いという人でした。

田原:西部さんは、60年安保で東大駒場のリーダーとして活動していた頃から最後まで反米でした。安保反対で約4カ月半も東京拘置所に入っているので、あの頃を知っている人たちは左翼も右翼も関係なく西部さんを信頼していた。

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