安倍首相が掲げてきた憲法改正は“改憲項目のブレ”の歴史だった。ジャーナリスト・青木理氏がその変遷を辿りながら背景を探る。
私は少し前、幼少期からの首相を徹底取材し、「安倍晋三とは何者か」についての連載ルポを本誌上で発表した(『安倍三代』<朝日新聞出版>として書籍化)が、政界入り前の首相に現在のような右派的政治スタンスの影は微塵(みじん)もなかった。いや、そもそも政治への強い志も知の蓄積の気配すらも見られなかった。
あるとするなら、溺愛(できあい)してくれた祖父・岸信介元首相への敬慕と、祖父を猛批判した左派陣営への嫌悪と反発。首相自身、小泉政権の官房長官だった06年7月、こんな表現で改憲への意欲を語ったこともある。
「経済成長は達成できたが、憲法改正は後回しになった。父も祖父もできなかった課題を達成したい」(自民党東京都連の会合で)
世襲政治家の3代目として祖父が成し得なかった夢を実現したい──その程度の初心だからか、具体的な改憲項目はしばしばブレる。政界入り後からしばらくは、祖父も願っていただろう「9条改憲」にこだわった。政界入り直後の発言はこうだ。
「自衛権があることが分かるように9条を変えたらいい」(1996年8月、朝日新聞の取材)
党幹事長に抜擢(ばってき)された04年時点でも、1次政権発足間もない06年時点でも同様だった。
「9条改正を意識しない改正論は常識的には考えられない」(04年8月、アエラの取材に)
「自衛隊を憲法の中に明示的に書く必要がある」(06年11月、党首討論で)
ところが、第2次政権になると、何としても改憲を実現したい焦りからか、突如として「96条改憲」を口にし始める。
「憲法を変えたいと思っても、たった3分の1ちょっとの国会議員が反対すればできないのはおかしい」(12年9月、京都府での講演で)
「最初に行うことは96条の改正」(12年12月、自民党本部での会見)