『ガラスの仮面』は幸運な作品だと思います。40年にわたって読んでくれる読者の方がいて、アニメやテレビドラマをはじめ、舞台化もしていただきました。しかも、超一流の方々が手がけてくださった。
描きながらずっと思っていたのは「どうやって読者を喜ばせよう、わくわくしてもらおう」ということ。そのためには、妥協などありえません。
たとえば大事なエピソードについては、三つか四つ、違うアイデアを考えることがあります。A案、B案、C案、D案と考えたら、4、5ページのネームにして、編集者に見せるんです。実際には、編集が「良い」と言ったのとは、違うものを描いたりしますが(笑)。
というのは、見せてはいないけれど、それぞれの案の先には、違う展開があるわけです。その回限りならば良さそうなアイデアでも、先の展開まで考えると、キャラクターを動かしづらかったりします。編集者に見せるのは、自分が客観的になるために、大事なプロセスだからです。
マヤは自分に演劇の才能があることに気づき、それを生かすことで人生が変わります。お金がもうかるとか、社会的に安定するとかではなく、マヤのように「それをやらなくては自分ではない」という、内側に眠る「珠」、才能は、誰でも必ず持っていると思います。
『ガラスの仮面』を通じて、「人が生きるとは」「命とは何か」ということを、描いてきたのかもしれません。
「紅天女」の台本も、物語の最後の場面も、20年前から決まっていて、あとは描くだけ。描くタイミングも来ているように感じています。
物語は必ず終わります。読者の皆さん、あと少し、待っていてくださいね。
※AERA 2017年8月28日号