さらに、31年の満州事変で日本に対する国際的な批判が高まりますが、政府の対応がまずくて国際連盟を脱退することになりました。これは特に日本の知識人にとって相当ショックな出来事でした。明治維新以来、日本は欧米列強の仲間入りすることを国家目標としてきたわけで、20年代まではそこそこ成功してきたはずでした。
ところが連盟脱退によって、その明治以来の目標が見失われ、今後どこへ進めばいいのかわからなくなった。そんな混迷の中でよりどころとされたのが、天皇中心の国体思想でした。日本にはもともと天皇中心の国体という立派なものがあるんだから、今さら欧米から学ぶ必要はない、手本にしなくてもいいんだと。個人主義や自由主義、そんなのは18世紀の西洋の古い思想であり、日本には合わないものだと、内側にこもってしまったわけです。
内田:なるほど。
●良いことと信じ破滅へ
山崎:ただ、30年代後半の段階で将来の破滅を予測した人はいなかった。みんなそれが良いこと、国のためになることだと信じていた。日本は天皇という特別な存在をいただく国で、特別な歴史を持ち、他国と比べものにならない優れた国である、というまやかしの理屈で自尊心を満たしてしまった。けれども、それは独善的な主観にすぎないもので、当然現実とは合わない部分が次々と出てくる。
その結果、対外関係もどんどん悪くなり、局地的な紛争があっという間に全面的な戦争へと拡大したのが日中戦争でした。合理的な形で解決できなかった大きな理由は、相手をむやみに見下し、日本中心の視点でのみ物事を捉えるという、夜郎自大な思考だったと思います。
内田:今の日本とほとんど同じですね。ここ数年、歴史も現実も無視した「日本スゴイ本」が数え切れないほど出ていますが、こういう言説を絶え間なく服用していないと治まらないくらいに日本人は自信を失い、不安に苦しんでいるということなんでしょうね。
山崎:そうですね。ただ、戦前と同じような思考法にすがりつけば、結局また同じような道へ進んでしまうように思います。
(構成/編集部・三島恵美子)
※AERA 2017年8月7日号