



世界にはばたいた“クールジャパン“が今夏、日本に逆上陸する。7月15日公開の映画「パワーレンジャー」は、20年以上、アメリカで戦い続けてきた“アメリカ版スーパー戦隊“だ。ロングヒットを続けるまでに成長した秘訣をひもとく。
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日本を守ってきた戦隊ヒーローがアメリカに渡ったのは1993年。日本で放送されていたスーパー戦隊「恐竜戦隊ジュウレンジャー」をベースに、アメリカでローカライズされた作品は「パワーレンジャー(英題:Power Rangers)」(初代は「マイティ・モーフィン・パワーレンジャー」)として生まれ変わる。以後、パワーレンジャーは、副題(パワーレンジャー・ターボ、パワーレンジャー・スーパーサムライなど)を変えながら日本の最新作品をベースにリメイクを続けてきた。
初上陸のインパクトは強烈で、放送を開始すると人気は瞬く間に広がり、社会現象になった。テレビシリーズと、今回の映画版でプロデューサーを務めたブライアン・カセンティーニさんが振り返る。
「年末のクリスマス商戦では、フィギュアなどの玩具を求める列に徹夜で並ぶ親子の姿がニュースで取り上げられ、ユニバーサル・スタジオでパワーレンジャーショーを開催した時には、近くの高速道路があまりの渋滞で閉鎖されるという事態も起こりました。ある放送回では、2歳から11歳の視聴率が90%以上を記録。ほとんどの少年が観ていたという驚異的な数字を出したんです」
●ヒーローは1人が常識
1作目でブームを巻き起こしたパワーレンジャーだが、放送までの道のりは決して平坦ではなかった。それは日米の文化の違い。まず、アメリカ側の制作チームに、“グループヒーロー”というスーパー戦隊の定義を理解してもらう必要があった。
当時のアメリカのヒーローは、「スーパーマン」「スパイダーマン」「バットマン」など、1人のヒーローが世界を救うストーリーが主流。そもそもアメリカの文化にはキリストという唯一無二の絶対的存在が根付いており、ヒーローも1人という考え方が常識だった。5人(複数)のヒーローがいることの説明に苦労したという。
「キリストはひとりです。5人はいないのです」
アメリカのディレクターによるこの一言は、番組関係者にとって忘れられない一言だったという。