人のために泣ける人。人の痛みがわかる人。人に共感できる人。これが、人が人であることの本質だ。経済学の生みの親であるアダム・スミス先生は、このように認識していた。
この認識に立って考えれば、日本古来の鬼さんたちこそ、最も人間的な存在だったのかもしれない。
「再びアメリカを偉大にする」。そうトラ鬼さんは言ってきた。偉大だとは、どういうことか。偉大さは、やはり、優しさに通じなければいけないだろう。偉大な人にはゆとりがある。ゆとりがある人々は、他の人々に対して優しい。優しい人は、他の人々のために泣ける。
思えば涙にも色々ある。激痛がもたらす涙もある。歯ぎしりしながら流す悔し涙もある。これは、トラ鬼さんにも経験があるかもしれない。「鬼の目にも涙」の意味を辞書で引けば、「無慈悲な人にも、時には慈悲の心が生きるのたとえ」とある。
トラ鬼さんの場合はどうだろう。これから、大統領職という重責を担っていくことになる。その中で、この鬼の目からさえ、もらい泣きの涙が流れる。そんな日が来るといい。だがどうか。(浜矩子)
※AERA 2017年1月30日号