カープがすごいことになっている。地元広島のみならず、ビジターでもスタンドは真っ赤っか。前回のセ・リーグ優勝から四半世紀。「えっと(長い間)」待たされたファンの思いが、最高潮に高まっている。
8月9日。地元マツダスタジアムに阪神タイガースを迎えた3連戦の初日、広島市内は昼過ぎから赤いユニホームを着た老若男女が街に溢れていた。百貨店で、喫茶店で、市内をくまなく走る市電の中で。長崎原爆投下の日、平和記念公園や原爆ドームにも多くの人が訪れていたが、そこですら珍しくない。カープのユニホーム姿で過ごすことは、広島にあっては何の違和感もないのだ。
翌10日、広島県中部の三次(みよし)市内のお好み焼き店。同市内に本社のある醸造会社が製造する「カープソース」で、辛麺のソバを入れたお好み焼きがウリのこの地域でも、話題はカープ一色だ。店内に掲示してある町おこしのポスターには、この10年主力として活躍してきた梵英心(そよぎえいしん)選手の兄が袈裟姿で写っている。梵選手の実家は500年前から続く浄土真宗の寺だけに、町の人たちとの距離感も近い。
「今日の先発投手は福井(優也)か。英心が連れてきたときに一緒にメシ食ったこともあるけぇ、頑張ってもらわにゃのう」
必ずカープの記事が1面のスポーツ紙を広げながら、常連客がカープソースに塗れたお好み焼きをコテでほおばる姿もまた、おなじみすぎる光景だ。
●大野に言われ新井許す
熱いのは広島だけじゃない。都内で一番カープファンの集まる広島お好み焼き店「Big-Pig神田カープ本店」は連日満席だ。1975年に初優勝を決めた巨人戦のスコアとメンバーを記したボードが再現されており、大型テレビを多数配置してカープ戦を放映しながらファンがジョッキをぶつけ合うこの店も、94年の開店以来最高潮の盛り上がりを見せている。
20日夜はマツダスタジアムで黒田博樹投手が先発して2対0でヤクルトに勝利、2位巨人との7ゲーム差を維持したが、同店の常連客に油断はない。
「96年に10ゲーム差以上を巨人にひっくり返される『メークドラマ』をやられてますんで、浮かれた気持ちにはなれません。あの衝撃は忘れられんもん」
と話すのは、広島市出身の会社員、大神健二さん(45)。東京出身の会社員男性(49)は、小学校3年生で75年の初優勝を目の当たりにして以来赤ヘルの魅力に取りつかれ、今でも年間に約50試合、球場に足を運んでいる。
同店の広報担当、竹内宏和さん(43)も、球場に出向くと常連客と自然に顔を合わせるという半ば家族のようなつき合いだ。
「新井貴浩選手が阪神から帰ってくることが決まって、正直僕らはありえんと思ってた。阪神に行ったのがショックすぎたからです。でも大野豊さん(在籍22年で通算148勝138セーブの大投手)にこの店で『新井を温かく迎えてやってくれ』と言われて気持ちを切り替えられたんです」(竹内さん)
●樽募金で危機乗り切る
どうしてカープファンはここまで熱いのか。親会社を持たない市民球団として1950年の創設以来、喜びも悲しみも共有しながら歩んできたからにほかならない。資金難から大洋ホエールズ(当時)に吸収合併されかけながら、市民の存続運動でひっくり返し、球場の入り口に設置した酒樽に募金を集めて危機を乗り切った伝説がある。
樽募金に参加した祖父を持ち、現在ベルリンに住む柳田悠岐子さん(32)=仮名=は、現地でのカープ愛をこう語る。
「ベルリン日本商工会主催のソフトボール大会では、カープのユニホーム姿も見られます(笑)。夏休みに一時帰国する方は、カープの試合を観戦したいが今年はチケットが取れないとこぼしていました」
4年前に86歳で亡くなった祖父は、30年以上も年間指定席を購入してきた。父を早くに亡くした柳田さんは、幼いころから祖父に手を引かれ、球場に足繁く通いながら大きくなった。祖母も母も妹も、家族全員がカープファンだ。