定年まであと10年ほど。ついにバブル世代がそんな曲がり角にさしかかっている。大量採用ゆえに続いた熾烈な競争最終幕を乗り切るには、どんな資質が必要なのか。(編集部・岡本俊浩)
それは、はるかかなたの日本経済の記憶の中にある。日経平均株価が、3万8915円(1989年12月29日)をつけた時代の話だ。
この勢いはずっと続くはず。そう信じて、企業はこぞって大量の求人募集をかけた。4年以上続いた急激な景気拡大局面にあった1986年末から91年前後に、社会人の一歩を踏み出した「バブル世代」である。
日本の世代別人口構成でいうなら、団塊と団塊ジュニアの間にはさまれた彼らは、決して最大勢力ではないが、空前の好況時に大量採用されたため、全従業員に占める割合が高い大企業は多い。
目の上のたんこぶだった団塊世代のリタイアが完了し、
「これからが私たちの時代」
となるはずが、職場は冷淡になっていた。失われた20年を経て、大量採用したバブル世代が経営コスト上の重荷になりつつある。株価の祝福とともに社会に出た彼らを待ち受けるのは、出向であり、早期退職という「未舗装」の道だ。
●「なんでこんな目に」
東京・丸の内で男性Aさん(53)と会った。ジャストサイズのスーツに、落ち着きを感じさせるペイズリー柄のタイを合わせている。悠々とミドルエイジの時間を楽しんでいるかのような外見と裏腹に、最近のAさんはずっと、
「なんでこんな目に遭わなきゃならないのか」
と思い続けてきた。
入社は87年。産業用機器の営業マンとして頭角を現し、20代半ばで外資系の業界トップ企業に転職。40代後半には事業部長として50人の部下を束ねた。ピーク時の年収は1300万円に達した。
しかし4年前、輝いていた道が急に暗転する。
1ドル=75円という超円高時代に突入し、ドル建てで計算する営業成績が悪化。商品をどれだけ売っても目標に届かない。一方、海外本社はドル安で目減りした分まで営業目標に乗せ、理不尽な数字ができあがっていく。
Aさんはここでの将来性を見通せなくなり、自己都合で退職をした。
次の仕事は、同じ業種の外資系で見つかり、年収も同じ水準を確保できた。ただそれも、1年余り働いたところでまたも急変。商品が悪評価を受け、売れ行きが鈍ったのだ。日本法人のトップは「値下げもやむなし。売れ」と号令したが目標には達せず、通告されたその場で荷物をまとめて出て行く「ロックアウト解雇」をされた。
1千万円プレーヤーのまま昨年、再び別の外資に転職したが、またまたリストラ前提の嫌がらせを受け、半年ほどで会社を去らざるを得なかった。
仕事に落ち度があったとは思わないが、理由はわかる。
「この年で、これだけ給料をもらっていれば、そうなるんですよ。真っ先に目を向けられる」
達観した表情で、こうつぶやいた。バブル入社組としての高年収があだになるのか。
Aさんはこの春、新しい会社に移った。業種は同じだが、日本の中小企業。年収は1千万円を切ったが、心穏やかに50代を乗り切っていければいい。
最近、ひとり娘が、
「このiPhone、まだ使えるのに取りかえるのはもったいない。気に入っている。新しいのなんていらないよ」
と言ってくれた。「それでいい」とうなずいた。
●始まりも女性は受難
同じバブル入社組でも、恵まれたスタートさえ切れなかった人たちもいる。女性だ。
女性エンジニアのBさん(53)が外資系半導体メーカーに入社したのも87年。
エンジニア業界は、いまも昔も男の世界だ。理系の有名大学を出たのに、就職活動から悔しい思いでいっぱいだった。
周囲の男子学生には就職情報誌が届き、付属のハガキに記入して企業に送って就活をスタートさせている。でも、Bさんのもとには、情報誌が来ない。なんでだ。会社説明会に出かけると、その理由がわかった。
「女性は採用していない」
同世代の男性が両手にあまるほどのオファーを受けていても、乗れない。受け入れてくれたのは、外資だけだった。
悔しさをバネに人一倍働いた。33歳で、系列企業に転籍。腕を買われ、スマートフォンの内蔵プラットフォームの設計を担った。管理職として部下も率いたが、そこで直面したのが顧客への接待攻勢だった。