脚本家北川悦吏子さん(53)きたがわ・えりこ/岐阜県出身。脚本家。17歳になった娘とは、おしゃべりができて楽しい、とほほ笑む。6月に写真詩集『恋をしていた。』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を出版予定(撮影/写真部・小林修)
脚本家
北川悦吏子さん(53)
きたがわ・えりこ/岐阜県出身。脚本家。17歳になった娘とは、おしゃべりができて楽しい、とほほ笑む。6月に写真詩集『恋をしていた。』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を出版予定(撮影/写真部・小林修)
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 脚本家の北川悦吏子さんが、難病を患っていたことを初めて告白。病との過酷な闘いのなか、自身が書いたドラマのセリフに励まされることもあったと言う。

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 10万人に1人の割合で発症するといわれる病に二つかかりました。

 一つは、ここで初めて明かしますが、国が指定する難病の「炎症性腸疾患」です。1999年の夏、人間ドックで見つかりました。大腸などの粘膜に慢性の炎症や潰瘍が起こる病気で、ほどなく倒れ、闘病生活が始まりました。もともと腎臓に持病があり、16歳のとき医師から「子どもは産めない」と言われました。

 けれど93年に結婚して、97年に思いがけず妊娠、娘を出産。その負担が大きかったのかもしれませんが、産んでよかったと心から思っています。

 闘病生活は十余年に及びました。なんとか工夫して連ドラを書き続けましたが、痛みがひどい時は、時間の経過すらわからなくなる。

 さまざまな薬や、新薬も試し、再燃と寛解を繰り返しました。2010年6月にこの病気の最終手段とされる大腸全摘のオペをして、ようやく症状が落ち着きました。

 ただ、その後も、全くトラブルがないとは言えず、そうこうしているうちに、今度は突然、左耳が聞こえなくなりました。診断は「聴神経腫瘍」。良性の脳腫瘍が聴神経を圧迫し、症状を引き起こしたのです。

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