戦後70年。天皇、皇后両陛下はどんなときも平和を祈り続けてきた。4月には慰霊のためパラオを訪問。快適とはいえない環境の中、それでもパラオ訪問を行った背景には、陛下の焦りにも似た思いがあった。
今年4月8日。羽田空港にある貴賓室は、緊張感に包まれていた。戦後70年という節目の年に、念願だった南太平洋、パラオへの慰霊の旅に出発する天皇、皇后両陛下は表情を緩めることはなく、覚悟をにじませていた。
「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」
天皇陛下が出発行事でかみしめるように口にしたのは、これまで幾度となく側近らに語ってきた言葉だった。
両陛下がパラオ訪問を検討したのは今回が初めてではない。元侍従長の渡辺允(まこと)さんによると、天皇陛下は繰り返し「南太平洋に慰霊に行くことはできないか」と話していたという。だが、慰霊碑のあるペリリュー島までは、パラオ中心部から南に50キロも離れており、大人数が乗れる飛行機が離着陸できる空港がなく、船で行き来するには片道1時間以上かかる。宮内庁は両陛下の意向を受けて内々に調査したが、これらのハードルを越えられず、2003年に断念した経緯があった。
今回は、海上保安庁の巡視船「あきつしま」にお二人が宿泊し、船に搭載されたヘリコプターでペリリュー島に向かうルートで訪問が実現した。だが、巡視船はそもそも客船ではなく、貴賓室などはない。船内には段差や仕切りが多く、両陛下が宿泊した船長室までは、急な階段がある。両陛下のために手すりをつけたり、船長室内のレイアウトを変えたりと対策が講じられたものの、快適とは言い難い状況だった。
それでも、両陛下は「わかりました」と受け入れた。そこまでして、パラオ訪問を望み続けたのはなぜなのか。前出の渡辺さんはこう分析する。
「戦争を知らない世代が増え、だんだんと戦争が忘れ去られていく。陛下には焦りにも近い切実な気持ちがおありになるのではないでしょうか」
※AERA 2015年5月4日―11日合併号より抜粋