新浪剛史サントリーホールディングス次期社長にいなみ・たけし/1959年生まれ。慶應義塾大学卒業後、三菱商事入社。2002年、ローソン社長に就任。14年5月会長。同年7月31日ローソンを退職し、10月1日付でサントリーホールディングス社長就任予定。産業競争力会議議員など国のご意見番としても活動(撮影/写真部・松永卓也)
新浪剛史
サントリーホールディングス次期社長

にいなみ・たけし/1959年生まれ。慶應義塾大学卒業後、三菱商事入社。2002年、ローソン社長に就任。14年5月会長。同年7月31日ローソンを退職し、10月1日付でサントリーホールディングス社長就任予定。産業競争力会議議員など国のご意見番としても活動(撮影/写真部・松永卓也)

 ローソンの社長から、サントリーホールディングス社長へと異例の転身を果たした新浪剛史社長。その決断の背景には、母の言葉があった。

サントリーホールディングス(以下サントリー)の電撃人事が発表された7月1日以降、新浪は時の人だ。

創業116年目を数える名門企業に創業家以外から初の「プロ社長」が入るとなれば世間は放っておかない。期待する声があれば、その逆もある。プレッシャーは計り知れない。

「今、55歳。最後のチャレンジと思って全力でやりますよ」

 周囲の雑音を払いのけるように、新浪は力強く言った。

 沈みかけたローソンの立て直しに奔走した12年間。その重責から解き放たれ、「少しゆっくりしたい」と言った舌の根も乾かぬうちの転身に、なぜ?と問いたくなるのは当然だろう。

「実はこの3月、母が亡くなる前に――」

 プロフェッショナルであれと仕事最優先の新浪が、家族の話をするのは珍しい。しかも3月といえば、ローソンの代表権を玉塚元一現社長に譲ると発表したころだ。

「社長交代の記者会見をした2日後に母は他界しました。その直前、弟と私を呼んでこう言ったんです。“人生チャレンジして、前に進みなさい”と」

 息子の表情に社長職をまっとうした安堵感と少しの不安があることを、苦労して兄弟を育てた母は感じとっていたのだろう。

「このままではもう成長できないんじゃないか、今後どうするべきかと考えていたときでしたから、あぁ母の言うとおりだな、とすとんと腹に落ちました」

 どんなときも、母は強しだ。進路に悩む新浪の背中を優しく押したのは、母の遺言だった。

AERA 2014年7月21日号より抜粋