原発事故の避難者は3年たったいまでも、約14万人いると言われる。国は区域ごとに賠償金を支払うとしたが、福島県浪江町では、それが新たな溝を生んでいる。
2011年12月。野田政権は被災地域を線量に応じて「帰還困難区域(年間積算線量50ミリシーベルト超)」「居住制限区域(同20~50ミリシーベルト)」「避難指示解除準備区域(同20ミリシーベルト以下)」の三つに見直すと発表した。低線量の区域を明らかにし、立ち入って除染と復旧を加速させるためと説明された。
見直しに手をつけるなか、全国に町民が散った浪江は除染後の「全町民での帰還」という方針を掲げ、同調しなかった。
12年春、原子力損害賠償紛争審査会は区域と賠償を結びつける。たとえば帰還困難区域は避難指示が解除されて戻れるまでの期間が6年、居住制限区域は3年、避難指示解除準備区域は2年とみなし、その期間に応じて1人月10万円の精神的損害賠償を一括して払うと示す。この条件を受け入れれば区域で格差が生じる。浪江の副町長、渡邉文星は「国の後だしジャンケンだった」とふり返る。
低線量でも海岸域は津波被害が甚大で、インフラが破壊されている。2年や3年では帰れそうにない。浪江町は専門家を動員して調査し、町長の馬場は同年9月、「少なくともこの先5年は戻れない」と宣言した。
国との神経戦だった。賠償の本来的な考え方に照らせば、どの区域であれ、帰れない間は精神的賠償が生じる。国も特例で浪江町の居住制限区域、避難指示解除準備区域の住民も今後5年間帰れないと認めて一括払いに同意した。浪江町は国とぎりぎりの駆け引きをしながら、共同体の連係を重んじ、大字単位の区域見直しを行ったのである。
ところが昨年末、原賠審は追加指針で、またも区域ごとの賠償額に差をつけた。帰還困難区域から移住する人には「故郷喪失」の名目で慰謝料が1人700万円追加される方針が示されたのだ。4人家族で2800万円。他の区域の人が移住しても、この慰謝料は払われない。除染すれば帰れる故郷が残っている、という判断だった。居住制限区域でも年間50ミリシーベルト超の場所は点在するのだが……。
こうした国の方針に翻弄され、いま避難住民の間に亀裂が生じている。福島市の北に位置する桑折(こおり)町の仮設の自治会副会長、石井敬輔(71)は津島で自営業を営んでいた。現状をこう嘆く。
「浪江の者が集まっても賠償が不公平で、身の振り方に触れられない。大切な先の話ができません。津波で家を流された人は見舞金だけ。帰還を諦めた人は賠償金で家を買う。カネは怖い」
※AERA 2014年3月17日号より抜粋