7年後の東京五輪を目標にする若手スポーツ選手は多い。一方で、スポーツ以外の分野の「若手」も、五輪を独自の視線で見つめる。
哲学界の“新星”は、歓迎ムードに染まる東京五輪に危うさを感じている。立命館大学大学院先端総合学術研究科の准教授、千葉雅也。
新宿・歌舞伎町の喫茶店で待ち合わせると、金色メッシュの髪形、派手なスウェット姿であらわれた。「ギャル男」向けファッション誌から抜け出してきたようだ。
「ギャル男はファッションの一様式だが、既存の法や規範への抵抗、性や人種の差別への抵抗など、いろんな抵抗のコラージュでもある」
その格好のわけを、専門の表象文化論でさらりと解説。自己表現の手段として、ギャル男ファッションをこよなく愛する。
千葉はいま、論文寄稿やテレビ出演などで忙しい。10月には初の単著『動きすぎてはいけない──ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)を出した。そこで唱えるのは「切断の哲学」だ。
東日本大震災以降、「絆」という言葉が世の中に氾濫した。しかし、つながりすぎ、動きすぎで「接続過剰」になってはいないか。関係をほどよく切断・接続しつつ、「個体」として生きた方がよいのではないか。そんな問いを投げかけ、東京五輪にもクールな目を向ける。
「経済的効果を期待できる半面、国際的な体面を保つため、これまで社会のグレーだった部分が排除され、ルールの絶対視や管理化が進み、いっそう息苦しい社会になる可能性がある」
※AERA 2013年11月11日号より抜粋