「認知的複雑性というのは、ものごとを複雑に、多面的に見る力といったらいいでしょうか。自分を過信している人は、この力が低いのです。ものごとを『この点はよいが、この点は悪い』というように複眼的にとらえることができず、何でも白黒はっきりつかないと気がすまなくなってしまう。そしてひとつのものごとでも、さまざまな見方ができ、自分とは違う考え方もあるのだということが容認できなくなってしまうのです」

 自分とは違う意見をはねのけていく人の元からは、当然人は遠のいていく。そして気が付けば、ひとりで正論を吠えまくる“孤独な人”になっている。そんな状況は誰も望まないだろう。

 榎本さんがすすめるのは、自分を疑う習慣を持つことだ。

「おかしな言い方かもしれませんが、自分は本当に正しいだろうかと疑う癖が大切なのです」

 そして思い込みだけで強く発言したり行動したりする前に、もしかしたら自分はいま“めんどうくさい人”、あるいは“はたから見たら、ただのブチ切れている人”になろうとしていないか、振り返ってみるのだ。

 前出の梅谷さんも言う。

「正論を振りかざしたいとき、大声で叫びたいときほど一歩踏みとどまって考えてみる。『やましさ』や『後ろめたさ』というブレーキの感覚を忘れないことですね。ネットなどで大勢で盛り上がり始めると、得てして『皆で渡ればこわくない』という気持ちになっているものですが、怒りに簡単に賛同してくれている人ほど、いざ自分が危険になったらサッといなくなってしまう。本当の味方は、付和雷同などしませんよね」

 また、正論で相手を打ち負かす、相手に謝罪させるなどということを着地点に考えないことも重要だ。

「大切なのは、生活の場でも仕事の場でも『生産性のある会話』を心がけることです。これはもう、日頃からの訓練です。自分が正しいと思ってワーッと他人に何か言っても、そこで言い合いになったり、嫌な空気が残ればお互い疲弊するだけなのですから」(榎本さん)

 話すことで“よいこと”が生まれるように、譲歩できるところは譲歩する。正論爆発は自分の評価をただ下げるだけ、と心得て。

「どんな人でも自分の衝動がこみ上げてくるときはあります。そしていま私たちは衝動がむき出しになりやすい文化の中で生きています。でも相手を論破することよりも、相手の意見や相手の立場を思いやれるような『共感能力』を磨いていきましょう。生きていく上で一番大事なのは、人ときちんと信頼関係を築いていくことですよ」(同)

 正論を吐いて自分だけが気持ちがいいときほど、実は周りは迷惑ざんまいかもしれない。そのことだけは肝に銘じておきたい。

週刊朝日  2020年1月31日号より抜粋