ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する
ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する
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八千草薫さん (c)朝日新聞社
八千草薫さん (c)朝日新聞社

 ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、先日亡くなった八千草薫さんを取り上げる。

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 八千草薫さん。その存在感を含め、生涯ヒロイン・マドンナ役を張り続けた大女優でした。映画だけでなくテレビドラマにも多数出演した八千草さんですが、彼女のヒロイン感は最後まで色褪せなかった。老女であっても老婆ではない──。むしろ世間と「八千草薫」の関係性が、時代を経ても変化しなかったと言った方が適当でしょうか。これはとても稀有なことです。たおやかでおっとりしつつも、決してのんびりはしていない。愛らしい声音や佇まいの中には、観る者に過度なリアリティを抱かせない凛とした冷たさが宿り、まるで種を蒔くように小さな振り幅の中で細やかな感情を表出させる演技。女優特有の「圧」のさじ加減がとにかく天才的。そのすべての要素が相まって八千草薫という女性は「生涯ヒロイン」に君臨しました。

 戦後、宝塚歌劇団に入り清純派の娘役として人気を博した八千草さん。退団してからも「お嫁さんにしたい女優」の象徴だった彼女が、おとなしそうな顔をしながらも不倫にハマる主婦を演じたドラマ『岸辺のアルバム』(77年)。抑圧を感じながら良妻賢母な暮らしを送る中年主婦が、おしとやかさと貞淑さを盾に強引な自己肯定を積み重ねて、ゆっくりと「内なる欲求」の解放に走るしたたかであざとい演技は、何度観ても息が詰まります。その2年後に放送された名作『阿修羅のごとく』も、シーンや台詞の裏側・行間を読み取る「感度」を高めてくれる「不親切さ」が詰まっている傑作。八千草さんが誰かを嘲笑(せせらわら)う表情なんて、どんな悪女よりも悪さが滲み出ていて痺れます。やはり表現の真髄というのは「ギャップ」ではなく「コントラスト」。「右を見せたきゃ左を映せ」です。もちろん八千草さん自身の資質や経験値の高さ、何よりも演技力がなければ成立しませんが、今は分かり易いギャップで意表を突くような手法ばかりに走りがちで、じわじわと後味の悪さを残してくれる演出や作品が少なくなりました。

 敢えて言います。八千草薫ほど「タチの悪い女優」は後にも先にも出てこないでしょう。もちろん最大級の賛辞です。女の底意地の深さ、怖さ、強さ、しぶとさ、図太さを、私は彼女の演技や存在感を通して学んだ気がします。そしてそんなものはおくびにも出さない透明感に、多くの男たちが夢や安らぎを見た。古臭い価値観かもしれませんが、これぞ日本の男女にとって最も平和な形ではないでしょうか。

 それにしても『岸辺のアルバム』は、脚本の山田太一先生のこじれた性(さが)が炸裂しています。どう考えてもマザコン度合いが常軌を逸している受験生の息子(国広富之さん)、その息子と友人のやけにBLっぽいノリ。さらには処女喪失の序章として大学の同級生とレズプレイに興じてしまう娘(中田喜子さん)。そして本来であれば上司を惑わす小悪魔的な役どころにまさかの沢田雅美さんを配するなど、かなり難解なフラグがシレッとカジュアルにちりばめられています。しかもそれらの伏線回収がなされないまま洪水によって家ごと流され、最後は「あとは皆さんの御想像にゆだねた方がいいだろう」なんてテロップで終わるという。ただ八千草さんの薄ら怖さだけが観る者の心に影を落とす作品です。しかしそんなスカッとしない影こそが、八千草薫の真骨頂だったのかもしれません。

週刊朝日  2019年11月15日号

【週刊朝日編集部からのお知らせ】
いつも『アイドルを性(さが)せ!』をご愛読くださり、ありがとうございます。この連載は2016年5月から週刊朝日で始まりましたが、このたび書籍化して、単行本『熱視線』(本体価格1400円)として発売されました。連載の内容を大幅に加筆修正し、ミッツさんご自身が描いているアイドルの似顔絵(AERA dotでは未掲載)も収載しています。装丁にもこだわりました。毒と愛を込めて作った一冊です。ぜひ、紙の本でじっくり味わってお楽しみください!