TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は細野晴臣さんの才能について。
【写真】HOSONOワールド満載!「細野観光」のカタログはこちら
* * *
細野晴臣さんとの(一方的な)出会いはイエロー・マジック・オーケストラだった。大学時代、アルバイト先の西武百貨店バーゲン会場で繰り返し流れていた。テクノカットに赤い人民服のアルバムジャケット。そういえば、ロバート キャンベルさんも20代の頃、ツバキハウスでYMOで踊りまくったと懐かしむ。
キャンティの川添象郎(しょうろう)さんは、YMOを世に送り出したプロデューサーである。
「(ロック・ミュージカル)『ヘアー』をプロデュースしていた時に(キャストの)小坂忠が連れてきたの。凄い才能があるミュージシャンだからって。何気なく僕のギターを弾いたらとても格好良かった。おしゃれで、確かに才能があるって」
細野さんがYMO構想を打ち明けたのもキャンティだった。
「情熱的という印象はなかったから意外だった」と川添さんは回想する。「いつも小さい声でぼそぼそだから、余計印象が強かった」「(細野さんが見せてくれたのは)富士山が噴火している絵だった。それを眺めながらマーティン・デニーの『ファイアークラッカー』をディスコっぽくアレンジしてダンスミュージックをヒットさせようって言う。日本のミュージシャンがコンピュータを使ってアメリカのヒットチャートを駆け上がるんだって」(高橋幸宏 BS朝日2016年7月30日放送)
世界で400万枚売ると細野さんは豪語したが、音源を聴いたスタッフは「ニューミュージックかジャズか、歌謡曲なのかロックなのか、ジャンルがわからないからラジオでかからない」と頭を抱えた。しかし、5度のグラミー賞受賞のプロデューサー、トミー・リピューマが「面白い! 行ける」と全米デビュー、世界に羽ばたく。
細野さんの半生をメモリアル展示するデビュー50周年記念展が「細野観光1969‐2019」。あった!と僕が小躍りしたのがローランドのVP‐330。肉声をロボットヴォイスに変換するもので、YMO「テクノポリス」の“TOKIO”の声を生んだ楽器だった。「エイプリル・フール」のベーシストとして東大闘争の69年にデビュー、大阪万博の70年「はっぴいえんど」、73年ソロ活動と同時に「ティン・パン・アレー」、78年にYMOを結成、世界ツアー後、再びソロに。