「日本は一度も先進国になれないまま没落していく」と言うと、「えっ?」と思うかもしれない。
【写真】「ニッポン1億総活躍プラン」フォローアップ会合での安倍晋三首相
一国の富の「大きさ」を測る尺度であるGDP(国内総生産)で見ると、日本は2位中国の半分以下だが、それでも米中に次ぐ「経済大国」だ。また、国の「豊かさ」を測る代表的指標、1人当たりGDP(GDPを人口で割った数字)でも、日本は一時世界2位に上昇し、「金持ち国」として名を馳せた。そんな「栄光」の歴史があるので、日本が先進国ではないと言っても意味不明となるのだろう。
一方、先進国とは単にお金があるということではないと言えば、それはそうかもしれないと思う人も多いはずだ。私が考える先進国としての3条件は、第一に、「企業活動よりも人を大切にする」、第二に、「企業活動よりも自然・環境を大切にする」、第三に、「企業や力のある者が困っても公正なルールが厳格に執行される」ということである。
先進国になると、社会が成熟することでこれらの要請が国民の間に強まり、また、経済発展がその実現を可能にするのだ。この三つを先進国の条件とすることに反対する人は少ないのではないだろうか。
では、日本はこれらの条件を満たすと言えるのだろうか。この点について、最近の働き方改革や最低賃金をめぐる論争を例にとって考えてみたい。
例えば、昨年度までは、大企業であっても、残業規制はないに等しく、事実上の青天井だった。その理由は、企業が困るからだ。
また、世界には存在しない「サービス残業」という言葉は、「働いたのに賃金を払わない」ということだから、他の国なら賃金不払いで犯罪なのに、日本では「よくあるよね」で済まされていた。賃金不払いは日本でも建前上は犯罪なのだが、本気で取り締まったら「中小企業が潰れる」という理由でほとんど野放し。その陰で大企業でさえサービス残業は長らく放置されてきた。労働者よりも企業経営者を優先してきたのだ。
これは、「企業活動よりも人を大切にする」「企業や力のある者が困っても公正なルールが厳格に執行される」という先進国の第1条件と第3条件に真っ向から反する状況だ。