昭和の名優が、また一人旅立った。数々の映画や連続テレビ小説「ふたりっ子」などで知られる俳優の高島忠夫さんが、6月26日、老衰のため88歳で亡くなった。
神戸市生まれで1952年に映画「恋の応援団長」でデビュー。64年に長男が殺害された事件があり一時活動を休止したこともあったが、テレビや舞台、ラジオなどで幅広く活躍した。
ある芸能関係者は言う。
「とにかく明るい俳優さんで、『キングコング対ゴジラ』での軽妙な演技はまさに高島さんらしい雰囲気で、代表作のひとつです」
「ゴールデン洋画劇場」の解説や、「クイズ・ドレミファドン!」の司会としても人気に。「ドレミファドン!」での決めぜりふ、「イエーイ」は代名詞ともなった。芸能評論家の三杉武さんこう振り返る。
「俳優さんがMCをつとめるはしりでした。周囲への気づかいができ、大スターでありながら親近感も抱かせてくださる方でした。“好感度”という言葉がまだ一般的でなかった時代からその高さが評価されたことも、長く活躍された理由のひとつだと思います」
妻は元宝塚女優・寿美花代。2人の息子、高嶋政宏と高嶋政伸はそれぞれ俳優として第一線で活躍中。ファミリーコンサートを開催するなど、芸能一家としてもよく知られた。
「家族仲がよく、今でいう“幸せオーラ”のようなあたたかさをファミリー全体で放っていて、お茶の間にも浸透していました。あまりスキャンダルの対象にならなかったのも、根っからの人格者であったことを裏づけています」(三杉さん)
晩年は病との闘いだった。1998年に重度のうつ病により芸能活動を休止。その後もパーキンソン病や不整脈などと向き合った。
2人の息子は所属事務所を通じて、それぞれ次のようにコメントを発表した(一部抜粋)。
「病院からの、『あと5分後にご家族集まって下さい!』のエマージェンシーコールが頻繁にあるようになったのが2年前。その度に全身が総毛立つような感じにはなりましたが、ここ数カ月、寝たきりの状態が多くなり、呼吸も弱まり、母いわく最後は眠るように旅立っていったのがせめてもの救いです」(高嶋政宏)
「父は最後まで明るく良く通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きだったフリオ・イグレシアスの歌声に包まれて本当に穏やかに旅立ちました。このような穏やかな最期を迎えられましたのも、長きにわたり父を応援して下さった皆様のおかげだと思います」(高嶋政伸)
葬儀は家族のみで行われ、お別れの会などの予定はないという。芸能一家を築き、明るいイメージのまま去っていった人生。全盛期の「イエーイ」というセリフとともに、いまも私たちの心に残る。
(本誌・太田サトル)