

「平成」の終わりまであと半年。『宮中取材余話 皇室の風』(講談社)の著者で、朝日新聞元編集委員の岩井克己氏が、30年の皇室取材で見た秘話を明かす。
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──温厚なイメージの天皇ですが、違う顔もある。
昭和天皇もそうだったのですが、現天皇は端然としたたたずまいと温顔ばかり知られていますが、実は内に頑固で激しい性格を秘めている面もある。もちろん表に出すことは絶対にないが、長年取材していると、側近らの蒼白(そうはく)な表情から垣間見えたのです。
1986年春、美智子さまの子宮筋腫に東宮侍医たちが気づくのが遅れたとき、病状取材で退庁時に追いかけた東宮侍医は、電車を乗り継ぎ自宅に帰るまで、終始沈痛な顔で物思いにふけり、とうとう話しかけることもできなかったのを思い出します。
97(平成9)年、ブラジル・アルゼンチン訪問で、過密日程で皇后が体調を崩し、帰国後にヘルペスにかかったときです。
事前の記者説明の際に私が過密さを指摘すると「そうは思わない」と発言した幹部がいて、相棒の記者がその発言を書いた。
天皇陛下はその発言を問題にし、当時の鎌倉節・宮内庁長官があいまいな答えをすると、
「真実はひとつです」
と、報道の訂正を求められて進退きわまったこともありました。いずれも皇后が深刻な体調不良におちいったときでした。
長官がお召しで御所に行き、蒼白な顔で戻ってきたことも何度かありました。
皇室典範論争の際に長官が以前の発言と違うことを言うと厳しく問い詰められたと聞きました。
昭和天皇が張作霖爆殺事件で田中義一首相の食言を叱責(しっせき)したエピソードは有名ですが、これを連想したものです。
南北朝時代、北朝初代光厳天皇が詠んだ歌がある。
ことの葉のかずかず神の見そなはばのちの世までのしるべともなれ
「綸言汗のごとし」と言われるように、天皇はうそやごまかしは絶対にできない立場で、歴代がおのずから帯びる冷厳さなのでしょう。これを私は「天皇のリゴリズム(修道者的な厳格主義)」と名づけています。