山本侍従長は96(平成8)年、故・秩父宮妃の一周年祭のあと倒れ、脳梗塞(こうそく)で身体の自由を失いました。

 2000年7月、豊島岡墓地で営まれた香淳皇后の葬儀には、車椅子で参列。葬場殿で、起立して柩に拝礼しようと何度も何度も懸命にもがくも、果たせず倒れ込み、悲痛な表情で天を仰いだ姿は忘れられません。

 カミナリおやじみたいに懐かしい人でありました。

──16(平成28)年。天皇陛下は退位の意向を示し、岩井さんは、天皇陛下の生前退位を検討する政府の有識者会議の専門家ヒアリングのメンバーとして、意見を述べました。

 幼少のころから、歴代天皇の足跡について考え続けてきた天皇の考えに、政治家も国民も追いつけなかった、という思いはあります。

 守旧派の人たちは退位に反対し、天皇は高齢になっても「存在するだけでよい」と言わんばかりでした。先述の加地氏は、今度は「退位するとは何事か」と書きました。

 天皇が高齢となれば、平成の皇室が幅広く紡いできた「人々との絆」が細り途切れてしまう。「そうなってはいけない」というのが天皇、皇后の思いでしょう。

 そしてその思いに国民の9割が共感したのだと思います。現天皇、皇后が大きく翼を広げて展開してきた、気が遠くなるほどの国民との絆。これを次の世代がどう受け継ぐか。新天皇、皇后が直面するわけです。

 08(平成20)年12月。当時の羽毛田信吾宮内庁長官は、「将来にわたる皇統の問題をはじめとし、皇室に関わるもろもろの問題をご憂慮のご様子」と、天皇の心労を明らかにしました。

 そのなかで、公務や祭祀(さいし)については天皇、皇后は担当者と考え続けているが、公務見直しを求める皇太子からはいまだに具体的な提案がない、とも述べました。

 あれから10年。皇太子ご夫妻はあと半年で天皇、皇后となります。

 しかし、雅子さまの「適応障害」はまだ完治せず、ご夫妻が新しい皇室をどうつくるのか、よく見えないままです。

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