その彼女が私に毎日のように、この事件のニュースを送ってくる。ひと月前は東京医大の事件がどのように台湾で報道されているかを送ってくれた。そしてついに、彼女はハッキリと理解したようなのだった。知り合って15年目に。
「みのり、ごめん。日本で起きていることは、私が想像できる全ての限界を超えている」
台湾はアジアで初めて同性婚合法化に向けて具体的に歩き始めており、若い女性たちがフェミニズムこそ「今」の問題だと積極的に発信している。フェミニズムは「性」の問題を避けては通れない。性暴力を根絶するための取り組みは、フェミの存在意義そのものだし、だからこそ「慰安婦」問題を、若い世代が引き受けようとしている。
そのような感覚が民主主義の成熟と共に根付こうとしている社会で、「慰安婦」像に足を向けるスーツ姿の日本のオジサンの姿は、恐らく、パニックを引き起こすレベルの衝撃だったはずだ。
「慰安婦」像を蹴った男は直後、「ストレッチをしていた」と言っていた。実際に映像を見ると、ゆっくり足を上げ、写真に撮らせている様は、勢いよく感情にまかせて蹴ったのとは確かに違う。しかし、勢いよく蹴っていないだけ、写真に撮らせているだけ、それはどこか半笑いの、どこかふざけた、空虚なただのポーズに見える。もしかしたら、日本の暴力の根源とは、そのようなものなのかとも思う。おふざけの延長で、記録を残すような気軽さでの、感情すらない、自分で何をやっているかもわからない、緩慢な暴力。
「みのり、ごめん」と言われて泣けてきた。私こそ、もっとたくさん謝らなくちゃいけないのに。
※週刊朝日 2018年10月5日号