典型的な不倫の口説き文句に、世間知らずのダイアナ元妃の心は、かき乱された。彼女は平静さを失う。ホア氏の声を聞きたい、と一日に何十回もホアの自宅に電話をかけた。妻が出ると無言で電話を切り、電話の数は300回にのぼるとも報じられた。自ら車のハンドルを握り、ホアの店の前に駐車をして待ち伏せたり、自宅のそばで明かりが消えるまで寝室を見つめたりしていたこともあった。その様子は、パパラッチに撮影され、タブロイド紙を飾ることになる。

 先の『パノラマ』でのインタビュー。ダイアナ元妃は、ホア宅への電話について「数回程度だった」と主張しつつも、認めた。

 その一方で、ダイアナ元妃とチャールズ皇太子の溝は修復しがたいところまで来ていた。

 92年12月に、メージャー首相が、別居について公表。96年に離婚した。

 別居中の95年には、パキスタン出身の医師ハスナッ・カーンにひと目惚れし、すぐに親しくなった。離婚とともに、カーンと第二の人生を真剣に模索。カーンの実家をパキスタンに訪ねたが、夢がかなうことはなかった。

 そして、97年8月30日。エジプト人大富豪の息子、ドディ・アルファイドとデート中に、パリで交通事故に遭い、帰らぬ人となった。

 夫チャールズ皇太子とカミラの不倫に苦しみ続けたダイアナ元妃は、自らも常にロマンスの相手を求め続けた。

 だが、この自由奔放な恋愛歴も、王室やダイアナ元妃の出身である貴族社会では驚く話ではない。そう話すのは、先の飯塚さんだ。

「エリザベス女王の夫、エディンバラ公フィリップ殿下も、女性の影は山ほどありましたが、女王は動じなかった。チャールズ皇太子は、本気でカミラとダイアナ元妃と3人でうまくやっていけると思ったはずです。ダイアナも、自身のロマンスについて、そこまでの罪悪感はなかったはすです」

 一方、チャールズ皇太子とダイアナ元妃のそばで情事をリークしたメイドや執事、暴いたパパラッチは、貴族ではない。

「見て見ぬふりは、してくれない人たち」(飯塚さん)であった。

 だが、ダイアナ元妃の情事を暴露する録音テープや写真がどれだけ出ても、36歳の若さでこの世をさったダイアナ元妃の人気は、衰えることを知らない。

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なぜダイアナ元妃の人気は衰えないのか?