医師、弁護士、科学者……「宗教国家」を夢想した麻原彰晃の下には、高学歴で才能あふれるエリートが集まっていた。26日に死刑が執行された、東大卒の死刑囚・豊田亨、麻原の「浮揚」信じた物理の秀才・広瀬健一。地下鉄サリン事件から17年となった2012年、最後の特別手配犯3人の逃亡生活にピリオドが打たれた年に発売された『週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」』では、オウム真理教を徹底取材。麻原の操り人形として破滅へと堕ちていった彼らの、封印されたプロファイルをひもとく――。
*誰より多くサリンを撒いた「殺人マシン」の意外な素顔 <教団エリートの「罪と罰」(4)>よりつづく
■東大卒の死刑囚
<豊田亨(とよだ・とおる)>
(1)生年月日:1968年1月23日
(2)最終学歴:東大大学院理学系研究科中退
(3)ホーリーネーム:ヴァジラパーニ
(4)役職:科学技術省次官
(5)地下鉄サリン事件前の階級(ステージ):菩長
兵庫県の旧家に生まれ、1986年に現役で東大に合格した。文武両道で、理学部物理学科で学びながら、少林寺拳法部では三段を取得。几帳面にとったノートは、友人に重宝がられた。性格も温厚で、周囲から信頼される好青年だった。
「必ずノーベル賞を取る」
友人にこう語るほど熱心に物理を学び、90年に同大大学院へ。成績上位の1割しか入れない難関の研究室で、素粒子理論を研究した。
オウムへは、東大合格時に書店で麻原の本を見かけたことがきっかけで入信した。しかし、学生時代の友人に自身の信仰を明かすことはなかった。
オウム真理教が衆院選に出馬した90年には、趣味のギターを弾きながら「ショーコー、ショーコー」と教祖の歌まねをして友人を笑わせた。血を見るのが嫌いで、同級生が医学部の解剖実習の様子を語って聞かせようとすると、
「堪忍しとくんなはれ」
と逃げ回ったという。
修士論文試験の最中だった92年4月に突然出家。麻原から直接説得され、その日のうちに決めた。家族や友人の元には、
「彼女が重病で、あと半年の命だ。最期を看取りたいので捜さないでくれ」
という内容の手紙が送られてきたという。