止めようとした担当教授から、「空中浮揚は慣性の法則に反している。学問を積んだ者が、なぜバカなことを信じるのか」
とただされたが、「見た」と譲らなかった。だた、空中浮揚の矛盾には気付いていたらしく、逮捕後に当時の心境を振り返って、
「(空中浮揚を力学的に測定した)データを見せてもらったが、明らかに脚の力で跳んでいた。それを見てもおかしいと思わず、教義への信を失わなかった」「麻原を信じていたから、としか言えない」
と、複雑な思いを語った。90年2月の衆院選では、埼玉5区から出馬するも落選。地下鉄サリン事件には実行犯の一人として加わり、丸ノ内線御茶ノ水駅付近でサリンをまいた。
旧ソ連製のAK74をモデルにした自動小銃の製造にもかかわり、試作銃一丁を組み立てた。
逮捕後は黙秘を続けていたが、脳に関する書籍を読み、脳内物質の作用によって、"神秘体験"に似た現象が起きることを知る。このことや裁判での麻原の言動への不信感がきっかけとなり、教団の教えと決別した。
2009年11月に死刑が確定。裁判中に被害者の悲痛な叫びに接し、一時は精神状態に変調をきたすこともあったが、
「多くの人を苦しめ続けている私の罪は、私の命をもってかえるしかない」
と、最後は淡々と罪を受け入れた。
“オウムシスターズ”次女と交際を黙認された男の怒り「麻原さんを許せない」 <教団エリートの「罪と罰」(6)>へつづく
※週刊朝日 臨時増刊『オウム全記録」(2012年7月15日号)