ニューヨーク生まれの日本文学研究者として、日本のあらゆる分野に精通しているロバート キャンベルさん。作家の林真理子さんが古典文学を楽しめるヒントを伺いました。
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林:今、文学自体が危うい状態です。みんな本は読まないし……。
キャンベル:そう感じますか?
林:ほんとにみんな本を読まないな、と思いますよ。文字を追うこと自体、スマホ以外ではしなくなって、本を手に取っていとおしむようにページをめくる行為は忘れているような気がします。
キャンベル:でも、美術館で本を読んだり、船の中で読んだり、温泉で読んだりって、すばらしい体験ですよね。とくに湯治と読書はすごく相性がよくて、湯治場に行くと、古い本がたくさん置いてありますよね。
林:そうですね。読んだ人が置いていってくれるんですよね。
キャンベル:はい。宮城県に鳴子温泉というところがありますよね。震災のとき、鳴子が二次避難所になっていたんですよ。僕は震災のときからそこに行って、被災者たちと一緒にブッククラブをつくって、短編小説を読んだりしています。読むこともおもしろいけれど、読んでいるあいだにいろんなよもやま話が出てきて、それがすごくおもしろい。読書は一人でするものだと思い込まされている側面があるけれど、みんなと一緒に読むといろんな話題が出てきたり、読む人の知らなかった側面が見えたりします。今は読書の世界の幅が狭くなっている感じがします。
林:若い人たちがもっと古典文学に触れてくれるといいな、と思います。今、「当然みんなわかっているだろう」と思う前提が、なくなっている気がするんです。たとえば「薄物」という言葉が出てきたとき、紗とか絽が浮かばないと『伊勢物語』は読み解けないわけで、今、古典文学に触れるってなかなか難しいと思うんです。
キャンベル:そうですね。でも、それが逆にチャンスになることもあると思います。たとえば水うちわというのがあるんですけどね。
林:水うちわ、ですか。
キャンベル:渡辺崋山という江戸後期の画家が、交際していた芸者さんがお風呂のあとに水うちわであおいで涼んでいる姿を描いた「芸妓図」という絵があるんです。ちょっと特殊な紙に水をつけてあおぐんですけど、それが水うちわ。本当に涼しい風が来るんですよ。ちょっとおもしろいでしょ? こういうものなら、現代の人も興味をもってくれるかな、と思っているんです。
林:知りませんでした。
キャンベル:古典には、卵料理ひとつとっても、「定家卵」とか「利休卵」とか、いろんな人の名前がついた料理があるんです。どんな味なのか、フワフワなのかサクサクなのか、想像したくなりますでしょう。先ほどおっしゃっていた着物地でも、模様が無数にあり、それぞれ「こぼれ梅」とか、いろんな名前がありますよね。
林:はい。
キャンベル:こぼれ梅って模様以外の意味もあるんですよ。本当はいけないことなのですが、芸者がお客さんと寝てしまう。これを「こぼれ梅」って言うんです。芸者が「こける」とか「ころぶ」とか言う表現と同じ意味ですね。
※週刊朝日 2017年2017年9月1日号より抜粋