──福澤が明治15年に立ち上げた時事新報は、当時の新聞が政党機関紙化していたなかで独立を掲げ、一躍日本を代表する新聞になりました。

 ところが福澤はその新聞発行の趣旨で、自分が一番やりたいことは国権皇張だと言っています。これは日本の権力を他の国に及ぼすという意味。つまりアジア侵略です。侵略される側からしたらたまったものではありません。日本最大の新聞を発行し、慶応の塾長も務めた人間がこんなことを堂々と述べていたのです。もともと福澤の大本願は日本を「兵力が強く」「経済の盛んな国にする」こと。そのために天皇を国民の求心力の象徴として利用しました。

──富国強兵ならぬ強兵富国とは。つまり民主主義者とは正反対の考えを持っていたということですか。

 実際に、日本が朝鮮支配を進めるために福澤が果たした役割は小さくなかった。詳しくはマンガを読んでほしいのですが、朝鮮宮廷内で起きたクーデターを計画したうえで実行にも加担し、明治政府が仕掛けた日清戦争では言論であおりまくった。戦争に勝つと国権皇張ができたと嬉し泣きしています。そのうえ軍は天皇直属であり、日清戦争は外交の序開きだと言うなど、侵略している意識すらなかったのです。戦争になったら国のために死ぬことが大義だと言い、教育勅語を歓迎した人物が民主主義者のわけがありません。福澤は天皇制絶対主義や皇国思想を日本人に浸透させ、朝鮮人、中国人への激しい侮蔑心をあおった。そのレールの上を走り、日本は第2次世界大戦に負けました。アジア蔑視は、現代の日本人にまで尾を引いています。

──しかし、福澤はそうした軍国主義的な思想を自分の新聞で堂々と述べています。それがなぜいまや民主主義の礎を築いた偉人に?

 昭和に入り福澤諭吉を高く評価し、その研究に多くの時間を割いた丸山眞男氏の罪です。丸山氏は福澤の言葉のなかから、自分の都合の良い部分だけつまみ食いしました。例えば「市民的自由主義」という言葉を使っていますが、福澤の文章のどこをとってもそんな表現はない。逆に福澤が「人民は政府の馬だ」と述べた部分は一切省いている。丸山氏は福澤の文章の行間を重視したり、著書をバラバラにして再構築する方法を採ったと述べています。それでは一体、福澤が何を言いたかったのかわからなくなります。

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