加藤紘一さん (c)朝日新聞社
加藤紘一さん (c)朝日新聞社
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 今年も多くの著名人が静かに旅立った。見送った人々の弔辞や追悼の言葉には、故人の知られざるエピソードや感動秘話が込められていた。元自民党副総裁である山崎拓さんが、加藤紘一さんへ捧げた言葉を紹介する。

【追悼2016年に亡くなった著名人】

※9月15日、東京・青山葬儀所での自民党・加藤家合同葬で

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 去る9月10日夕刻、君の訃報(ふほう)に接し、正直覚悟はしていたものの、ついにその日が来たかと深い悲しみに襲われました。

 とりわけ僕はこの2年ほど前から講談社からの勧めで『YKK秘録』の出版を思い立っておりましたので、その記述の内容について主役である君の了解を得る必要があり、その機会がなかなか得られず困却しておりました。結局もう一人の主役である小泉純一郎君をはじめ、拙著の登場人物のどなたにも了解を得る礼を欠いたままの出版となってしまいました。この機会に改めてお許しを請います。

 若手政治家約90人を結集させた「グループ・新世紀」の結成や小選挙区制度の導入反対などYKKの連帯による政治行動は時の政治にダイナミズムを与え、いやが上にも国民の政治に対する興味と関心を惹起したことは間違いありません。まさに君の政治的レガシーの一つであると思います。

 2年前、君がミャンマーに旅立つ直前に赤坂で天ぷらそばを食べましたね。その時僕はずっと懐疑的に思っていたことを思い切って聞きました。それは「君は本当に憲法9条改正に反対か」という問いでした。君は「うん」と答えました。「一言一句もか」とまた聞きました。「そうだよ。9条が日本の平和を守っているんだよ」と断言しました。振り返ってみるとこれが君の僕に対する遺言でした。まさに日本政界最強最高のリベラルがこの世を去ったという思いです。

 最後に、いわゆる「加藤の乱」については「あれは一度も止めなかった僕が悪かった。すまん」という他ありません。わが国に健全保守勢力を築く君の後進が育つことを祈りつつ、かつ愛娘加藤鮎子代議士が大成されることを期待して、お別れの言葉と致します。さようなら。

週刊朝日  2016年12月23日号