登山家の田部井淳子さんが10月20日に亡くなった。享年77。世界最高峰エベレスト(8848メートル)の女性初の登頂者で、女性初の7大陸最高峰制覇も果たした。著書や講演などで山の魅力を伝え、中高年登山ブームの礎を築いた。だが、あの笑顔の背景には、人知れぬ苦労もあった。
2013年春、ネパール。私は「エベレスト街道」と呼ばれるトレッキングルートを歩いていた。当時80歳で、エベレストの最高齢登頂に挑む三浦雄一郎さんを取材するため、ベースキャンプ(BC)を目指していた。拠点集落のナムチェバザールへの急な上り坂が始まる吊り橋の手前で、前から来る小柄な女性に声をかけられた。
「あら、近藤さん! 何でこんなところにいるの?」
田部井さんが夫の政伸さん(75)たちとともに下ってきていた。こちらから同じ質問を返したところ、
「今回は完全にプライベート。久しぶりにネパールを満喫しているのよ。以前、近藤さんと一緒にBCに行ったときに比べると、エベレスト街道も変わっちゃったね……」
いつもの笑顔だった。まさか、前年に「腹膜にがんがあり、余命3カ月」と診断されて手術を受けたなんて、このときの私は知らなかった──。
田部井さんは福島県生まれ。1962年に昭和女子大を卒業後、社会人山岳会に入り、日本アルプスや谷川岳などに通った。69年、「女子だけで海外遠征を」を合言葉に女子登攀クラブを設立。75年、エベレスト日本女子登山隊に副隊長兼登攀隊長として参加し、女性初の登頂に成功した。35歳で、1児の母だったため、「エベレストママさんの快挙」として世界中に名を知られた。
92年には欧州最高峰エルブルース(5642メートル)に登り、女性初・日本人初の7大陸最高峰制覇。その後も、世界各国の最高峰登頂を目標に掲げ、70カ国以上の山々に登ってきた。
バイタリティーにあふれ、登山家という枠には収まらない活躍ぶりだった。エベレスト初登頂者のエドモンド・ヒラリー卿に頼まれ、山岳環境保護団体「日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト(HAT−J)」を設立し、代表を務めた。子育てや仕事で忙しい20~40代の女性のための山の会「MJリンク」もつくった。山でも街でも着られるアウトドア・ブランド「JUNKO TABEI」は女性に大人気。エッセーや山岳紀行の著書も多い。趣味では、水泳も、シャンソンも……。
そんな田部井さんに私が初めて会ったのは、彼女が「一緒にエベレストBCに行った」と回顧した99年5月だった。