当時、九州大大学院で「エベレストのゴミ問題」を研究していた田部井さんは、修士論文執筆のため、調査隊を組んでBCに赴き、1カ月ほど現地調査を実施。私はその同行取材をしたのだった。
底抜けに明るく、サービス精神が旺盛な人だった。取材に対する受け答えは丁寧かつ親切で、カトマンズの案内までしてくれた。
BCは標高約5300メートル。酸素は平地の2分の1しかない。高度に慣れるため、私たちはエベレスト街道を10日近く歩き、徐々に高みを目指した。
道中、山の歌を歌い、元気づけてくれた。政伸さんによれば、「高山病になると気分が沈みがちになる。歌ったり会話をしたりすれば、酸素をよく取り込め、症状が軽減する」というのが田部井さんの持論だったという。
隊員や私は毎晩、食堂のテントで田部井さんを囲み、「炉端談議」に興じた。
最も印象に残ったのは、エベレスト登山の資金集めの話。企業に寄付を頼み、何度も断られた。拒否されるばかりか、「女性だけでエベレストに登れるはずがない」「女性は家庭を守り、子どもをしっかり育てなさい」と言われることもあったという。
田部井さんは私に「足裏マッサージ」も施してくれた。2人で向かい合って座り、互いの足を親指から1本ずつ引っ張ってもむ。さらに土踏まずを指で押し、かかとの両脇を指でつまむ。これで一日の疲れがすっと癒やされた。
BC滞在中、田部井さんがゴミ問題に取り組んだ理由を聞かされた。75年にエベレストに登った際、「登頂記念」として頂上直下に空の酸素ボンベを埋めてきたというのだ。ボンベには「エベレスト日本女子登山隊」の略「JWEE」の文字があった。「今も埋まっていると思うと、いたたまれない気持ちになるの」
初登頂後の戸惑いについても語ってくれた。
「ネパール国王に勲章をいただき、天皇陛下との昼食会に招かれた。一夜にして世界が変わったみたいだった。登山隊の代表として登頂したわけで、私自身、何も変わっていないのに」
あれからざっと17年。大きな山岳遭難があったときも、女性登山家が活躍したときも、ヒラリー卿が死去したときも、「山ガール」がもてはやされたときも、ことあるごとに田部井さんに取材した。いつも、あの笑顔で答えてくれた。
最近では、東日本大震災で被災した高校生たちを元気づけるために企画した富士登山の取材が印象深い。毎年夏に実施し、すでに415人が参加したと聞く。
世界に勇名を馳(は)せた登山家でありながら、少しも偉ぶらない「笑顔のすてきなおばさん」だった。(朝日新聞山岳専門記者・近藤幸夫)
※週刊朝日 2016年11月11日号