脚本家の倉本聰(くらもと・そう)さんが、東日本大震災で被害を受けた福島の原発事故をテーマに書き下ろした演劇「ノクターン」を来年1月以降、全国公演する。公演を前に、福島県出身のクリエーティブディレクター箭内道彦(やない・みちひこ)さんとの対談で「福島の人たちの思い」について語り合った。
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倉本:ボランティアが被災地に入ったとき、そのリーダーが「がれきという言葉を使わないで」と言ったという話も、ひどく印象に残っていますね。
箭内:「フクシマ」とカタカナで書かれるのも、福島の人にはとても苦しい。終わってしまった場所の象徴としてレッテルを貼られたように感じてしまう。
倉本:僕も言われました。あのヒロシマ、あのオキナワ、あのフクシマ……。一つの差別です。現地の人は「カタカナのフクシマは俺の故郷(くに)じゃねぇ」って言う。
箭内:僕自身、震災や原発事故が起きる前は、広島や長崎をカタカナで書いたことがあります。自分の故郷で起きて初めて気づき、複雑な思いにかられました。
倉本:かつてテレビドラマ「北の国から」の脚本を書こうとしたとき、テレビ局に「電気も水道も通信もない、ロッキー山中が舞台の映画『アドベンチャーファミリー』みたいな作品を」と言われました。そんな場所は北海道にないと反論したら、「東京の人が見るからいい」と。頭にきましたね。僕は、板前の作品を書くときは板前が見て「これだ」と言ってくれなきゃ嫌だし、刑事モノなら刑事が「そういう事件が起こる」と共感してくれなければと思う。福島を描くのも、東京を基準にしては本当の声を届けることはできない。それが筋だと思うんです。
箭内:よく、わかります。
倉本:もちろん福島の人と東京の人では立場が違うでしょう。でも3.11の直後はもう少し、ものの考え方が近かった。3年以上経って風化して、どんどん距離が生まれている。それをもう一度戻したい。それが今回の舞台にかける僕の思いです。でもあまり深く考えながら見てほしいとは思わない。
箭内:そうなんですか?
倉本:僕は芝居の原点は「感動」にあると思う。終戦直後の学生時代、ジロドゥというフランスの劇作家の「街を歩いていたら、いい顔をした人に出会った。彼はいい芝居を見た帰りに違いない」という言葉を知ってね。
箭内:いい言葉ですね。
倉本:それが僕が芝居を書く原点になった。見て感動して、いい顔で帰ってくれたらいい。当時は主義主張やメッセージ性の強いプロパガンダ演劇が流行っていた。あれは嫌でしたね。
※週刊朝日 2014年12月5日号より抜粋