平成25(2013)年10月27日。皇后両陛下は初めて水俣市を訪れ、水俣病患者と懇談された。陛下と美智子さまの水俣へのお出ましは人生の集大成の一つであるというジャーナリストの渡邉みどりさん(80)は、訪問中にあったお忍びの面会についてこう語る。
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実は、この訪問には、お忍びの面会がありました。宮内庁が明かしたところによれば、この訪問で両陛下は症状の重い胎児性水俣病患者の方とも面会したいと希望されたそうです。胎児性というのは母親のおなかの中にいたとき、すでにメチル水銀に侵され、生まれながらに厳しい障害を負った人たちです。先に両陛下が訪れた水俣病資料館の隣にある県環境センターの一室。そこで、胎児性水俣病患者の金子雄二さんと加賀田清子さんに、両陛下が向き合っていました。金子さんは、「家族みんなが水俣病です」と伝えようとしたが、うまく言葉になりません。天皇陛下は、「なんとおっしゃったの」と優しくたずね、美智子さまも、2人の手をそっと握りました。
この面会が実現した背景には、作家の石牟礼道子(いしむれみちこ)さん(87)の存在がありました。石牟礼さんは、水俣病患者の魂の叫びをつづった『苦海浄土――わが水俣病』の著者です。昨年10月25日付の朝日新聞にこのことが詳しく書かれています。
石牟礼さんは、昨年7月に東京都内のホテルで開かれた社会学者の故鶴見和子さんを偲(しの)ぶ「山百合(やまゆり)忌」に出席しました。石牟礼さんの隣には美智子さまがお座りになっています。美智子さまは、石牟礼さんにそっとささやかれました。「こんど、水俣に行きますからね」
後日、石牟礼さんは、美智子さまに、こうした内容のお手紙を差し上げたそうです。
「今も認定されない潜在患者の方々は苦しんでいます。50歳を超えてもあどけない顔の胎児性患者たちに会ってやって下さいませ」
手紙を読んだ美智子さまは訪問直前、石牟礼さんの知人にお電話をさしあげ、こうおっしゃいました。「石牟礼さんのお気持ちを重く受け止めています」。そして先のお忍びの面会が急きょ、実現したのです。患者の方との懇談は、さまざまな方の想いによって実現したものでした。
両陛下が水俣を訪れた足跡は、この地にしっかりと刻まれました。今年3月に、エコパーク水俣で御製碑の除幕式がありました。碑には、天皇陛下が水俣を訪問された際に、お詠みになった3首の御製が刻まれています。
あまたなる人の患ひのもととなりし海にむかひて魚放ちけり
患ひの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし
慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり
両陛下は、つねに弱き人びとに寄り添い、話に耳を傾け続けてきました。お相手は、戦争や災害、公害の犠牲者や被災者などさまざまです。日本が残した負の歴史から目を背けず、正面から向き合い、そして祈る。そのお姿に私たちも共感し、敬意を覚えるのでしょう。
※週刊朝日 2014年10月24日号より抜粋