今年は両陛下がともに傘寿の節目となる。振り返れば、おふたりのご成婚前後、女性週刊誌が次々に創刊。各誌の皇室カメラマンはミッチーの姿を記録に残そうと火花を散らした。瓜生浩氏(80)・元学研カメラマン、河崎文雄氏(70)・光文社「女性自身」カメラマン、高野俊一氏(69)・元サンテレフォト写真部長、島田啓一氏(65)・元新潮社写真部長、鈴木鍵一氏(60)・光文社「女性自身」カメラマン、現役雑誌カメラマン(52)が集まり、とっておきの秘話を明かした。司会は岩井克己氏(67)・元朝日新聞編集委員。
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高野:私は、33年間ほどサンテレフォトという通信社に在籍しました。皇室取材は、浩宮さまが小学校5年ごろに、ご一家で苗場スキー場に行かれたのを皮切りに、平成8(96)年まで続けました。昭和天皇もごく近い距離で、撮影させていただきました。
河崎:声まで覚えているよね。「あっそう」という。
高野:近すぎて、レンズが陛下にぶつかりそうになった。昭和の時代は、特にお子さまたちの姿が印象的です。紀宮さまの学習院初等科の入学式もそうです。
高野:皇太子ご一家の写真は、海外からも関心が高かった。学習院の伝統である赤ふんどし姿の浩宮さまは世界へ配信しました。
岩井:怒られませんでしたか。
高野:まったく。礼宮さまの赤ふんどしも撮りました。紀宮さまも、近くで取材させていただいた。
岩井:自由な雰囲気で写真を撮っていたようですね。
瓜生:僕は昭和48(73)年から30年ほど、学研の「皇室アルバム」などで皇室取材に関わりました。皇室との距離の近さは、「監視役」としても機能しました。身元の怪しい人間が報道陣に紛れ込めば、護衛の皇宮警察に合図を送る。彼らにも「あなたたちの場所は、安心だ」という互いの呼吸があった。
岩井:僕が昭和61(86)年に宮内庁を回り始めてすぐのころです。明仁皇太子さまと美智子さま、浩宮さまが訪問した展覧会場で熱心にしゃべっている。明仁ご夫妻の会話を一生懸命にメモしていたら、カバンごとドーンとだれかにぶつかった。「あっ、すみません」と振り返ったら浩宮さまだった。
河崎:我々女性誌は、美智子さまのアップを狙います。某女性誌の、あるカメラマンが美智子さまを一生懸命に撮りながら、「邪魔だよ。どいてよ」と。どかした相手が、皇太子さまなんですよ(笑)。
岩井:明仁さまに?
河崎:ご本人は、びっくりなさったでしょうね。
瓜生:昭和の終わりごろでしょうか。常陸宮妃華子さまが埼玉鴨場で珍しい鴨を抱いてたので、そばで写真を撮らせていただいた。
河崎:珍しい鴨って。
瓜生:日本では見ない種類。で、ポンと肩をたたかれたから、ひゅっと見ると常陸宮さま。それからずっと鴨の説明を続けてくださる。「はい。そうですか」と、お返事をしているうちに、取材が終わっちゃった。
河崎:皇室と一般の人との距離も近かった。昭和のころは、ご一家で軽井沢に滞在した。テニスコートで、明仁さまと美智子さまが地域の人に囲まれている。いまは、考えられない。
島田:宮内庁側の警戒が強くなったのは、川嶋紀子さんや小和田雅子さんの登場で、テレビのワイドショーの取材陣が現場に出てきたあたりかな。
高野:ご本人たちに、声を掛けてはいけないことになっていたのだけれど。
島田:ワイドショーは「たかが宮さまじゃない」という感覚で突撃していった。
※週刊朝日 2014年7月18日号より抜粋