歴代デザイナーのなかで、最も長く美智子さまを支えた植田(うえだ)いつ子さんが6月3日、85歳で亡くなった。皇室のファッションに詳しい、ジャーナリストの渡辺みどりさんが、植田さんの思い出を本誌に寄せた。
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植田さんは熊本県出身、桑沢デザイン研究所で学んだ。オートクチュール(注文服)を中心に活躍する一方で、舞台衣装にも情熱を注いだ。作家の水上勉氏の「越前竹人形」などの人形芝居では着物や帯といった和の衣装を、シェークスピア劇の舞台では、幻想的なドレスを数多く手がけた。
美智子さまとの出会いは、1976年。「ローブ・デコルテのできる方」ということで、服飾研究誌「装苑」編集長として知られた今井田勲(いまいだいさお)氏と、ご婚約内定後の美智子さまのデザインを担当した越水金治氏の推薦で、美智子さまのデザイナーとなる。以来、2012年12月までの36年間、美智子さまを支えた。
「伝統文化である佐賀錦をローブ・デコルテに取り入れたい」――美智子さまと植田さんには共通の思いがあった。美智子さまと植田さん、そして佐賀錦の職人さんを交えた3人で試行錯誤を続けた。佐賀錦の織物を切り取り、ドレスの布に縫いつける。外国のドレスに見劣りしないよう、繊細な手作業で佐賀錦の飾りに立体感を出した。
皇后還暦を記念したテレビの特別番組での取材の折に、筆者が「美智子さまの佐賀錦のデコルテは何着おつくりですか」と尋ねた。植田さんは、「ジャーナリストの方は、すぐに数を聞かれるので困りますね」と、たしなめながらも、「この20年で10枚くらいでしたかしら」と答えてくださった。
植田さんがデザインしたイブニング・ドレスを紹介しよう。ドレスの半分が白、対角線の半分が紺の色合い。その紺地の胸元に、佐賀錦を使い、花みず木をあしらった格調の高いドレス。皇太子妃時代の87年の米国訪問の折に、レーガン大統領夫妻主催の晩餐(ばんさん)会でお召しになったものである。
かつて、日本が日米親善のしるしとして贈った桜のお返しに、花みず木が贈られた。それを踏まえて、美智子さまは植田さんに、花みず木を取り入れたいとリクエストされたという。日の丸をイメージした、ナンシー夫人の深紅のイブニングとお互いに引き立て合う。皇室外交ならではの、華やいだ装いであった。
時は流れ、92年。来日したペルーのフジモリ大統領を歓迎する晩餐会で、皇后となられた美智子さまは、花みず木をバラのモチーフに付け替えてお召しになった。
96年には、襟元を和服風にリフォームされて、ブラジルのカルドゾ大統領来日の晩餐会でご着用になった。
1着のドレスを昭和から平成にかけて手直しとリフォームを重ね、10年以上お召しになっている。
最後に、植田さんが熊本の旧制高等女学校時代に、昔の針供養を詠(うた)った歌を紹介する。
一本(ひともと)の針もおろがみ使いける祖母なつかしみ針まつるかな
皇后美智子さまの姿勢と重なり合う、「ものを大切にする心」を象徴するお歌だ。ご冥福を祈る。
※週刊朝日 2014年6月27日号