「お江戸日本橋」と民謡に歌われる東京・日本橋。東海道や中山道など陸路の起点として人が往来した日本橋は、水都の中心地としても賑わった。
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およそ400年前、湿地だった江戸に幕府を開いた徳川家康は、物資輸送の交通網として縦横に水路を張り巡らせた。次第に、人や物資を運ぶ「舟運」が盛んになり、屋形船などの舟遊びに興じる文化も定着。江戸は日本橋を中心に、「水の都」として成熟した。
現在の東京にも、その水路は生きている。だが、いまの東京を水都と捉えるのは難しい。日本橋川の上を走る高速道路、川に背を向けて並ぶ高層ビル群――。いつしか川は、日陰へと追いやられたからだ。
だが、にわかに「水都復権」の動きも現れている。建築や文化の視点で新しい水上経験を作り出す団体「BOAT PEOPLE Association」のメンバーで、建築士の山崎博史さんは、こう指摘する。
「日本橋の付近に観光船の船着き場を整備したり、川に突き出すようなテラスを設けて景観を楽しめる飲食店が増えてきました。これらの動きは、河川敷地の規制緩和による影響が大きい。東京の水辺が少しずつ変わってきているのです」
2020年の東京五輪開催に向けて観光客増を狙う東京。羽田空港と五輪会場を結ぶ水上タクシー計画なども噂されている。水辺こそ、観光資源なのだ。
東京沿海部の運河群、芝浦などの水路はその要素にあふれているが、なかでも神田川や日本橋川は注目されている。
隅田川を上って神田川に入ると、係留される数多(あまた)の屋形船が現れる。江戸下町に位置するこの辺りは、古い船宿や小屋掛けとあわせて、その情緒が味わえる。その先には万世橋や聖橋(ひじりばし)などの名橋に目を奪われる。少ないながら川に突き出したカフェテラスも見えてくる。
神田川を上って日本橋川に入ると、途端に首都高速道路が空を覆い尽くす。05年、時の首相、小泉純一郎氏が「景観を損ねている」と、首都高を撤去、地下化することを提言した一帯だ。
だが、山崎さんは、船で外国人観光客を案内したときの意外な反応について、こう話す。
「海外からの人は、東京スカイツリーが雄大に見える場所より、古風な神田川の雰囲気や、日本橋川の首都高の橋脚群に、意外と興奮するんです。世界中にあるタワーより、日本ならではの光景なのかもしれませんね」
小泉氏がぶち上げたとおり、地上から見る日本橋と日本橋川は、首都高に覆われ、お世辞にも「美しい」とは言えない。しかし、船上から見れば、立ち並ぶ円柱の橋脚が水面に映ることで、まるでパルテノン神殿のように見え、独特の異空間へと誘(いざな)われた。時間帯によっては柔らかな光が橋脚群と水面をうっすら照らし、幻想的な美しさを演出する。外国人や「橋脚萌え」だけが喜ぶとは思えない空間だ。
五輪に向けて膨大な予算を投じることなく、今ある資源でも、十分、観光につなげられるのかもしれない。
※週刊朝日 2014年4月18日号