歌姫として一世を風靡(ふうび)し、娘・宇多田ヒカル(30)をトップスターにした藤圭子(62)が、8月22日朝、28階建てタワーマンションの13階の一室から転落死した。2006年3月、ニューヨークのJFK国際空港での事件後、消息が不明だった藤だが、芸能関係者の間では、「ニューヨークの心療内科に入院している」といった噂も流れていた。

 消息不明の時期、藤とヒカルはほとんど会っていないという。

「ヒカルさんは周囲に母と会うことを禁じられ、3年は会っていなかったようです」(スポーツ紙デスク)

 その間、ヒカルはわずかながら、ツイッターなどで母について語っている。自分が生まれた日については、こう記していた。

〈予定日から3週間以上過ぎてヤバいってことになって帝王切開で出されたんだけど心肺停止(略)真っ青な私を父は泣きながら必死にマッサージしまくって(略)徐々に血の気が戻ってきて蘇生したんだって。この間、藤圭子は麻酔で意識無し。父に感謝!ママもママで小さい身体で大変だったろうなあ〉

 父への深い感謝に比べると、命がけで自分を産んだ母にはどこか冷めた視線が感じられる。09年には音楽雑誌の取材で、母についてこう答えている。

「距離が遠くて絶対に触れ合えない、みたいな人。直接関わったっていう気分はまったくしないんですよ」

 はた目からみれば、ヒカルの歩む道は母・藤と重なるようにも見える。人気絶頂期での結婚離婚。10年にヒカルは「人間活動をする」として芸能活動を休止し、その理由として母を念頭にか、「50歳くらいになって、マネージャーなしでは何もできないおばさんにはなりたくない」とラジオで言っている。かつて28歳で引退表明し、渡米した藤も、帰国に際し、「普通の生活をすることを学んだ」と言っていたのだ。

 作詞家で、藤を世に送り出した「育ての親」故・石坂まさを氏は、1999年に出版した著書『きずな』(文藝春秋)をこう結んでいる。

〈(藤が)自らの母との相克を断ち切ったように、彼女の娘もまた『母』という存在に背を向けるときが必ず来るはずである。なぜなら、それが母と子の持つ宿命だからだ。(略)我が子に新しい時代と戦わせようとしている。でも、それは誰のために、そして何のために〉

 ヒカルは休業前に発表したアルバムに収録した歌「嵐の女神」でこう書いた。

 お母さんに会いたい/分かり合えるのも生きていればこそ/今なら言えるよほんとのありがとう

週刊朝日 2013年9月6日号