経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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かつて「英国病」という言葉があった。その種をまいたのが、戦後初の政権となった労働党アトリー政権だった。基幹産業を国有化し、大型公共事業で需要を作り出し、「無駄な競争」を排除する。これがアトリー構想だった。
ところが、この構想は完全に裏目に出た。現出したのは、非効率と低生産性とあまりにも強すぎる労働組合の存在だった。この構図の下で、国有企業は慢性的な過剰生産状態に陥った。彼らが生み出すものには競争力がない。だから、輸出は減って輸入が伸びて対外収支が赤字化し、ポンド安が進む。
こんな体たらくだったのに、組合パワーが強過ぎるから、生産調整も賃金抑制も起こらない。賃金は抑制されるどころか、組合の要求通りに上昇する。すると、それに見合って国有企業は値上げする。この値上げが次の賃金上昇をもたらす。かくして低成長下の高インフレが常態化した。この状態から英国が脱却するには、剛腕鉄血宰相、マーガレット・サッチャーの登場を待たなければならなかった。
今、英国病になぞらえて「日本病」というものについて考えてみれば、どんなイメージになるか。それはどうも、「実物インフレ+賃金デフレ」ということになりそうだ。「モノインフレ+ヒトデフレ」と言い換えてもいいだろう。英国病においては、強すぎる労働パワーが病状深化につながった。これに対して、日本病の一つの大きな病因は、弱すぎる労働パワーだ。
今年の春闘では高い賃上げが実現するという見通しもある。だが、この見通しが実現するにしても、それは多分に一握りの強者企業の対応によるものとなるだろう。賃上げ倒産を恐れて、戦々恐々となっている中小零細企業は少なくない。それが解っている労働者たちは、強気の声など上げられない。
労働パワーを弱めているものは何か。それは分断であり、孤立である。働く人々は、ともすれば、独りぼっちになりがちだ。組合幹部が労働貴族化して肩で風を切るのも、問題だ。だが、孤独な労働者ほど、哀しく弱い存在はない。日本病から脱却するには、働く人々の新たな団結への道が開かれる必要がある。
※AERA 2023年2月20日号